2005年3月11日
23:00ベトナムに着く。鍋屋に行った。2人で¥1000。暑い。36度。
3月12日
ベンタイン市場に行く。今日は、市内観光。とにかく暑い。 ・美術館・戦争博物館・コープマート
3月13日
タクシーに乗りチョロンの方まで。市場は、良くも悪くもなく。夜は、ディナークルーズへ。
1人6000d(約60円)で船に乗れた。風が気持ちいい。
昼に、こちらでカフェを開いている日本人に会い、名刺をもらう。
ココナッツアイスと初のジャスミンティーを、2杯もらう。
3月14日
動物園へ。タクシー騙された!20万ドン。 夕飯、「キムバック」
おみやげ屋の人が、すごく良くしてくれた。酔ってていっぱい買った。
3月15日
クチトンネル・メコンへ(ベトナム戦争跡地)。昼ご飯は、エレファントフィッシュ。蜂に触ってはちみつを食べた。
3月16日
ベトナム戦争のジッポを買う。その後、川を渡り、ホーチミン博物館へ。
警備員の人が、一緒に写真を撮ろうとジェスチャー。で、1枚。人と笑えるっていい。
どこまでも歩く。
夜、蟹を食べた。言葉がわからないので、絵で蟹を描く。日本語を勉強している女性のノートに「かに」と書く。その夜、初めてベトナム語を男の人から教えてもらう。
モッリーノ!!(もう一杯!!)
日本の数の数え方(正の字を書いてく方法)を博物館のチケットの裏に書いて教えた。
そのチケットがほしいと言うので、なくなくあげた。
3月17日
市場からサイゴンスクエアまで歩く。
途中カフェに入ると店員さんが、世界のお金を集めているので、小さなお金でもいいからくれないか、と言ってきた。日本円を持ってなかったので、ZOKEIライターをプレゼントした。
ベトナムには、もう一度会いたい人がいっぱいいて、私が置いてきたものもいっぱいあるんだ。
3月18日~あてのない旅~
バス乗り場まで行ったものの、乗り方がさっぱりわからないので、うろうろしていると、
パッと若い(25~30歳)人が、バスの路線図をくれた。顔も見ずにすぐ行ってしまった。
初めて人に物をもらった。こっちの人が、他人に物をあげることがどんなことか、わかり始めていた。けど、路線図わからない。終点まで行くことにした。(降りれないから)
終点まで行って、勢いがついて船も乗った(約10円の観光客など乗らない船)
そして、赤土の地へ着いた。お茶をしたお店?では「コーク」も通じない。子供は裸。宇宙人が来たかのような顔をされた。
けれど、人と人は分かり合える。
かかったお金は、船、バス、コーラ計100円以下。
戻って来れてよかったよかった。
3月19日
マングローブの森へ。今日は車で行かないと、行けない場所だったので、添乗員さんを頼んだ。途中まで昨日の‘あてのない旅'と一緒でびっくり。初めての振りをした。
でも、たどり着いたとこは、昨日と全く違った。あんなジャングル見たことない。テレビのアマゾンそのまま。添乗員さんは愉快な人だった。帰ってきて市場に行って、バックを買う。こっちの人は、誰とでも仲良く話す。
夜ご飯は、まずくてびっくり。こんなのもいい。でも、ほんとにまずくて食べられなかった。
とにかく1日が毎日36時間くらいに感じている。
おみやげ屋のおじちゃんが、前を通ったら覚えていて遠くから手を振ってくれた。
3月20日~あてのない旅②~最終日
12時にチェックアウトして、ハウスキーパーのおばちゃんに寂しいね、また来年と言われた。 机にはThank youと書いた紙とチップと折り鶴を置いてきた。
ヒンズー教の寺院で、おじちゃんたちに良くしてもらい、裏でカレーを食べていけと言われ、カレーを食べる。
それから、バスで2000d(約20円)で行けるところまで行くと、大きな遊園地到着!
ジェットコースター20円(落ちるかと思った)プール35円。 帰りは、手を挙げてバスを止め(始発、終点以外乗り場はない。)ホテル近くまで帰る。最後は大好きな料理屋で食事。
なんと、空港であの添乗員さんと偶然会えた。新しい旅行者そっちの気で、大きな声で喜んでくれた。会えてうれしかった。
いい1日だった。いい10日だった。
Thank you ベトナム。
3月22日帰国後
ベトナムで2回バスに乗った。2回とも席を譲っている人を見た。譲られた人はありがとうも言わない。 私は、その時それがどういうことか、わかっていた。
3月23日
ベトナムに今度行ったら会いたい人。
①ホテルのハウスキーパーのおばちゃん
②おみやげ屋のおじちゃん
③『正』を教えてあげてモッリーノを教えてくれた男の人
④カフェで働く同い年の子
⑤ニャベで会った家族
⑥バスの路線図をくれた人
⑦やけにハイテンションの添乗員
ベトナムに残した物
①アドレスとZOKEIライター。
②チケットの裏に書いた蟹の絵と正の字
③チェックアウトの時初めておいたチップの横のメッセージと折り鶴
4月27日
ベトナムの写真を見ながら絵を描く。
写真をいっぱい撮って日本に持ち帰って来たことを、たびたび良かったと思うし、忘れていくこともふと思い出させてくれるから、これからもそうするのだと思うな。
5月27日~BANGKOK着の日~
16:30頃着。いきなりスコール。
ここにあるレシートやら薄いボールペンの文字は何年か経つと消えてしまうだろう。
けれどここにこう、それが存在することを確かに感じれるように
ここに こう 残そう。
そしてまたどこかに行ったときはまた、残そう。
虹を見た。180度ちょうどまんまるく見えた。
歩いて15分。迷って30分。夕飯。22:06
近くのセブンイレブンで水、食料を買いだめ。SINGHAビールを飲む。
5月28日~とりあえずバンコクサーチの日~
今日はとにかく散歩...にしては、この40度近くある中、昼からよく歩いた。
バンコクセンター(Hotel)のある駅から電車に乗らずに4Km。短いのに暑いだけで10Kmに感じる...。そして夜も...歩く...。
ナイトバザールで、タイ料理。チャーハン最高!やっぱりシンハービール!
5月29日~終わりの見えない旅の日~電車の旅
今日は本に載っていない、(なんとかうっすら始まりの駅だけ載っていた)駅から終点まで行ってみた。(40円程度)
Hotelを出て、渡り船まで歩く。川を渡り(8円程度)、目的の駅までまた歩く。約40分。暑くて、目的地が見えなくて、何度戻ったほうがいいと思ったか。暑くてクラクラして倒れそうになった。なんとか乗った電車には観光客0。1時間冷房なし。
私はこんな旅が好きだ。
着いたところが良いとか悪いとかではなく、ずっとずっと歩くような、
自分で大切なものを見つけだすような
こんな旅が大好きだ。
マハチャイという場所にたどり着いた。着いたところは、海のそばの市場がたくさんある場所で、みんなジロジロ見る。どこに行ってもわざわざ見に来る。そりゃそうだ。みんなには、珍しい人。
夜は、一旦ホテルに帰って、すぐムエタイを見に出発。24:00過ぎ、夕飯を食べに屋台へ。屋台で働く男の子が、日本のサッカー選手が好きと言っていた。タイの人は、裸足でサッカーしていた。
5月30日~市場の日~
日本人0の衣類の市場に行く。(他の国の人は多い。白人とか。)太陽の下で青色の家が、まぶしかった。昼はタイカレー120円弱。
夜行った市場は、竹下通りの夏祭りバーションで、こちらこそびっくりされた。
レアな本から探し出した場所。
タイのガムと水を持って夜も歩いた。
5月31日~朝から夜まで船の日~
朝から昼:船乗り場まで歩き、船に乗ってぶらぶら。
夜:ディナークルーズへ。(チケット売りの人には歩いていくのは無理と言われたが歩いて行けた)
6月1日~海と太陽の日~ラン島へ
海に着いて、10歳くらいの男の子と友達になった。真っ白い砂で池を作る。午前中は潮が引いていたけど、午後になると、どんどん海に壊される。言葉は通じなくても、友達になれる。会話は笑い声だけだけど。笑った顔がとてもまぶしかった。おかけで私は、日焼けから熱が出た・・・
でも夜は、また3Km歩いて夕飯&市場へ。チャイナタウンで、日焼け後のローションを買った。それを塗ると体が真っ白になる。100円くらい。そういえばタイで、体が真っ白の子供たちがよくいた。
00:00をまわり、ホテル前のおばさんの屋台で、デザートを買う。80円。アップルパイのバナナバージョンといった感じ。注文すると生地をパンパンたたいてバナナを切り、作ってくれる。味はおいしいが、さすがタイといった感じで甘い。
6月2日~ウィークエンドマーケットの日~
タイ2回目。こちらも2回目。
お釈迦様のアクセサリーを買う。タイの人はこれを買い、一生の財産にする。(1ヶ月の給料平均20000円。このくらいする)
6月3日~寺院を巡る~最終日
船に乗り寺院を巡り、4km歩き限界を感じたのでタクシー。
歩くということは、いろいろなものを見つけることができる。
ある寺院の裏の細い道は、雨上がりの似合う道だった。お経も見れた。
最後の日の夕飯も屋台。
タイの夜は心地いい。
6月4日
この日まで続けてきたこと。
毎日のキーパーさんへのお礼のチップに、鶴を添えた。最初の日は花が1つ。でもそれから毎日花が2つとタイ語で何が書かれていた。たぶんありがとうという文字。
最後はl hope you are happy. See you again. Thank you and bye-bye.と鶴を置いてきた。
顔を知らなくても繋がれる。
何度も何度もここに来よう。
何度も何度も会いたい。
灼けすぎる太陽と臭い道。
屋台の人々、愛しい旅よ、ありがとう。
何度も何度もありがとう。
帰りの飛行機で隣に座っていたタイ人のおばちゃんが、乗り継ぎの台北に到着してさようならの時にぎゅっと抱きしめてくれた。
2007,06,18 in Japan
Chihiro Koshi
その後、日本にて。
ベトナム戦争の跡地を見て。そして、ベトナム旅行後、歴史に残る話を知って。
記録を残そうと、カメラを抱え死んでいったカメラマン。米軍の若者たちを励ますラジオのDJ。そして、生きることを目的に作られた250kmの地下トンネル。
その物を見た時、生きるために作られたものは、何とも言えない力を持つのか。と、感じた。
人が生きるために作りだした物は、戦争に関係しながらも、素晴らしいという言葉が溢れた。
ただ単に、耳を閉じてしまわずに、何がどうしてだめか、何がどうしていいのかを、自分で見極めよう。
ベトナムやタイの人々は生きていたんだと思った。
日本では、生きるということを実感するために芸術がある。
芸術は、生きることである。それを感じられるもの。生きていることを実感できるもの。生命そのもの。人間の魂におそらくとても近く、生を確認するもの。人間が生きるということに、欠かすことのできない絶対的な必要物。生きることそのもの。
それを私が感じる。
人がそれをまた感じる。
2年後のタイで、またアップルパイ屋台のおばちゃんや、日本のサッカー選手が好きな男の子に会えた。
「2年前にも会っているんだよ」と伝えると、すごく喜んで、「また、来年も来なよ」
と言ってくれた。
今も遠くで生きている。
ビールを飲み過ぎて、屋台にはトイレがないので、男の子の家のトイレを借りた笑
3月25日
マレーシアは、いろんな人種で混沌としている。
私も、黒人もインド人もマレー人もチャイニーズも、ごちゃごちゃ、ぐちゃぐちゃ。
いつか思う。今日できた顔のシミや、日本に帰ったら目立って見える日焼けや傷を、大切に思う。
明日も歩こう。たくさんの人たちに会おう。
どうでもいいようで、幸せなことを、ずっと忘れないようにここに書こう。
明日は、もっともっと幸せな時間を、ここに書こう。
3月26日
足に付いた絵の具は、こんなに歩いても、まだ側にいてくれた。
手の水色のペンキも、ほんとにほんとに少しだけ、今日の朝、まだ手にあった。
3月29日
道に小さな子供を抱いているお母さんがいた。
物乞いは珍しい光景ではないのに、気になった。
気になったから、お金を恵んだ。
赤ちゃんの、手を握った。そしたら日本語で「がんばるんだよ」って言葉が出て、
声が震えた。
本当に伝えたいことは、言葉じゃなくて、心が伝えてくれる。
本当に言いたいことは、呼吸をするように体を出ていく。
何にもできない自分。小さな自分。
こんなことじゃかわらないこと。
眩しい太陽。
歩き出す私。