2016年
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金
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土
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日
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月
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日
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水
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3月
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木
2014年
3月
12日
水
2014年
3月
11日
火
私のこの絵はインドに行く空でした。
その空そのものだった。
あまりにもそのままだったので
友達に言葉なしにこの写真を送ったら
"この絵は空だったんだね"
って言ってくれた。
2014年
2月
14日
金
2013年
11月
03日
日
2013年
7月
27日
土
去年9月に行ったハワイで、100頭くらいのイルカと海の神様ウミガメと泳いで、You are lucky girl!!って言われた。懐かしいな。
旅が好きだ。
ハワイの地でこんな仕事がしたい!って思ったことが、ハワイアンレストランTIKIの壁に実現する。
11月にはバリ島に行ってライブペインティングしたり、子供たちとワークショップするつもり。
8月は気仙沼。10月は大儀見元さんと大口純一郎さんと甲府。
少しずつ、長野から出始めた。
名前も住んでいる国も知らない人が、携帯の待ち受けにしてくれたり。
なんだか不思議。
2013年
7月
07日
日
ここ何年かの自分の表現への向かい方を一言で言うと、
正直に表現すること
恍惚とした唯一無二の
新しいものをみせること
それは完全な清らかさをもち純粋であること
そんな気がする。
スタイルとか作風って、こうしようってするものではなくて
気がついたら後ろにあるもの。
けれど私は、自分のスタイルに自分が束縛されるのを嫌う。
最近、越さんの絵って本当に越さんみたいだねって言われた。
私はずっと変わらないねって言われた。
変化に変化していく柔軟さと、
ずっと変わらない深いところが必要なんだ。
私は私の絶対を、疑う。
可能性はそれ以外の場所に山ほどある。
自分で道を見つけたり、細い道でも歩きながら作ったり、そこでたくさんの色とりどりの人と出会ったり、
そんなことをして私らしく挑戦していきたい。
好きなことを仕事にする覚悟を中学3年生の時にした。
情熱は足りているかってこと。
まだまだ一歩。
好きな言葉って聞かれてもずっとなかったのだけれど、
最近見つけた。
唯一無二。
2013年
3月
06日
水
2013年4月から長野市の五分一カルチャーセンターで、月2回の絵画教室をはじめます。
もともと、父がクラシックギターを教えている場所で、私も始めることになりました。
フリーランスのペインターになって3年目。
また新しいことをスタートしてみようと思います。
とはいっても、絵は教えるものじゃない。
そう思っています。
専門的な技術ではなく、こどもたちの想像力を伸ばすこと、それを表現できるようになることをコンセプトに、自分らしくできたらなと。
それで、対象は小学生にしました。 一般コースはおまけです。
長野に拠点を移してからは6年、美大進学予備校の講師をする中で、ワークショップの中で、イベントの中で、
私のたった一言で
たった一つのアドバイスから
描く背中から
表現できたそのものに笑顔になるこどもたちの姿をたくさん見ました。
同じ目線に立って夢中になっていたら、いつの間にか子供たちといる時間が好きになっていました。
その中で、私がずっと守り続けてきたことがあります。
それは、なんでもやらせること。
自分で決めさせることです。
どんな小さなことでも手をかさずにやってきました。
もう一つは、大人たちが一般に思う色のにごりや絵の出来を
決めつけないことです。
服が絵の具だらけになってもいいじゃないか服なんてと、言ってきました。
ゴミと芸術も紙一重、汚いと美しいも紙一重です。
はさみを持ってくること、紙を用意すること、片付けること、
何か言いたいことをいうこと、
色を選ぶこと、
やるかやらないか、
答えは自分の中にあること。
それは
自分と向き合うこと
自分を知ること
人任せにしないこと
できなかったときに誰かのせいにしないこと
友達の作品に愛を見れること
人の気持ちを想像できる子に
愛や夢を抱ける子に
それが
想像すること。
表現すること。
そう思うのです。
今年は、絵画教室以外にも、高校生や子供たちとの関わりが増えそうな年です。
教室はゆったりできたらなと思います。
海外に出かけたりなどの時はお休みさせてもらったりすると思いますが、よろしくお願いいたします。
お問い合わせは直接カルチャーセンターにお願いいたします。
381-0034 長野市高田368-5
tel.026-262-1282
fax026-262-1283
2013年
2月
20日
水
私は、たった一つの
たった一人の私から生まれる
今日というたった一つの日の
その瞬間の刹那に
愛した
そのことや
ものや
その線を
愛する
そして私はいつも
世界にたった1枚のその絵を
その目の前に立つ
たった一人の人にむけたいと思う
その絵の前に立つたった一人の人が世界中にたくさんになればいいと思う
そして、私は多くのものではなく
たった一つの
私を愛する愛がほしい
いつも一つでいいんだよね
2013年
2月
18日
月
またお返しするものができました。
あたたかい愛を走れる手と足にもらいました。
強く儚き優しい人間でいたいです。
いつも真っ直ぐ純粋にいたいです。
本当に大切なことはどんなときも守り、伝え続けたいです。
何度も何度も、ありがとうを。本当にありがとうございました。
そして、今までもこれからも絵を描くたった1人の小さな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
生きることは、描くことは、大切なものを丁寧に愛するということ。強さも弱さも醜さも美しさも憎しみや孤独や愛を抱え生きること。毎日の刹那に儚さとそれでも確かに存在する生を全うすること。
2013.2.18 愛を込めて
2012年
1月
08日
日
A HAPPY NEW YEAR
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
昨年は、芸術の非力さと、それでも無力でない力、を実感した年であり、
自然の猛威を見せつけられ、ただただ、呆然と立ちつくし、
それでも復興へ向かう人間の、強さを感じた年であり、
原発とその放射能の見えない怖さの中で、子供達と日本の未来をどう守っていくのかを
考え始めた年でした。
芸術家として、は、私の中で、人間として、と同じです。
人間として、やるべきこと、できることは、
生きていたら、永遠になくなりはしない。
だから、私は、これしかできないって言葉だけは吐かないって、
去年、決めました。
私は、絵だけ描いてるわけにはいきません。
私は、絵を描くことだけしか、できなくはない。
そして、これからも、ずっとすっと絵を描いていたい。
今年は、重心を落として、進んでいきたいと思います。
そのことの、本当にあるべき姿。
そのことの、本当の意味。
表面の内側の奥の奥の奥にある。そのこと。
大事なこと。
大切なもの。
見えないもののリアリティを。
もう一度、見つめ直す。
答えのない世界で、正しいことなんて、何にもわからない世界で、
私の信じたり、信じたかったり、
進みたくて
進むべき
道を
一歩、一歩を大切に
まっすぐ進むこと。
描くことの素晴らしさは、
手間をかけることの大切さは、
絵は、
人と人の中にあり、
人の中にあり、
生きるもののなかにある。
ここに、返すものがある。
たくさん返すものがある。
2011年
12月
14日
水
18日の収益を楽器に換えて被災地の子供達に贈る、復興支援イベントのため、福島県を通って、宮城県山元町へ。
福島県に入ると、ガイガーカウンターが鳴る。
子供達が住めない場所に、子供達がいる。
まだ宮城は測定もされていない。
山元町。なんにもない。なんにもなかった。
大地にそれでも生えてくる、雑草を踏むことができなかった。
仙台市で、たくさんの涙をみて、涙した。
山元町で見た光景が、人々の涙と重なった。
ここにいる誰しもが、震災で愛する人を失っていた。
なんにもない大地から、津波と共にここに来たのだろう貝殻を一枚拾った。
忘れない。絶対に忘れない。
私には何ができるだろう。
ずっとずっと、私には何ができるだろう。
これしかできないって言葉は、吐かないって、いつの日にか決めたんだ。
2011年
9月
29日
木
ニューヨークから帰ってきて、みぞれりんごのうめ酒が発売になり、24時間テレビの壁画監督、三四六さんのCDジャケットの絵、欅屋びくらさんの2.6X7mの壁画が完成、などなど。
そして10月は篠ノ井市民会館でのライブペイントや、創業180年の柏屋さんの桐・杉の部屋一面への制作が始まる予定。
ポンタさんのドラムももうすぐ届くのだろうか。
そんな中、来年3月を予定して私の画集を出すことが決まった。
ついに、ついに、本になる。
キャンバス作品だけじゃなく、この本には、私の絵と私を囲むできるだけたくさんのものを詰め込みたいと思う。
描くということ。
私にとって描くということは、キャンバスの白い画面にただ向かうことだけにない。
どこへでもなんだって私らしく、描ける。
今まで、お金は経験と体験と出会いと絵に使ってきた。
描くという表現は、私の生きるという表現である。
そしてたくさんの場所から、たくさんの人と絵を通して出会いたい。
言葉よりもずっと心でわかりあえるから。
忘れてゆくものや薄れてゆくもの
目に見えないものを
深く大切に忘れないようにしたり
心に持っていられるようにすることが
私の役目なんだと思います。
びくらの壁画を描いていて、楽しいですか?と
何人かの人に聞かれた。
本当に楽しいことは、とても苦しいことたっだりするから、
私は楽しいですとは答えられなかった。
まっすぐ純粋に楽しく歩こう。
誰の意見も気になんかしていられない。
もっと気にしなくちゃいけないことが山ほどたくさんだ。
私は私の上を歩く。
2011年
8月
09日
火
村上ポンタ秀一さんのドラムへのペイントが決まり、6月辺りに、ポンタさんに会いに行った。
その時に、心の中で
スペインの真っ赤な夕日と情熱みたいなドラムにしようと決めた。
それは、ポンタさんには伝えなかった。
ニューヨークにポンタさんから、パール楽器さんから、連絡があった。
きっともうすぐ届く。
帰ってきて、ポンタさんが、自分の永遠の中の一枚を送ります。イメージの参考に。
と1枚のCDが送られてきた。
Miles Davis
ジャズのサックス奏者だ。
CDのタイトルは、
Sketches Of Spain
スペインのスケッチだ。
2011年
8月
09日
火
いろんなものが、大きかった。
町も人もファッションも絵もハンバーガーもギャラリーも。
確かなものは、日焼けとダニ。
歩いて歩いて見つけて見て会って実感した。
夜はこの旅で知り合った人たちが毎日毎日会ってくれた。
見たものも8本のフィルム写真も過去になり、思い出となり、人は淡く儚く夢のよう。
とにかくたくさんのポストカードをあの場所に置いてきた。置いてきたのじゃない、手渡した。
私の絵をみんながBeautifulって褒めてくれた。
絵だけじゃなく、トランクや帽子やペンダントも褒めてくれた。
そのことは、私そのものが、表現なのだと再確認させた。
どこも手を抜く気はない。
またあの場所へ行く。今度はもっと大きな絵を見せに行く。
儚いものは、確かなのだと確かめに行く。
今は、淡く夢のよう。
いつかじわじわくるのだろうか。
今は、肌に残るものだけが確かであり、これもまた、消えていく。
人生とは、その繰り返し。
淡く儚く、確かにここにある。
私は永遠の旅人になりたい。
探し物がある。
2011年
6月
24日
金
最近呼吸をするように私を表現しています。
店舗デザインを手がけた時は、近所の滝に枝を集めに行って、枝でオブジェをつくる。
庭の花で、生け花をする。
散歩しながら、花冠をつくる。
野菜を大きなお皿に盛りつける。
プレゼントに絵を描く。
その合間に、キャンバスに向かう。
私が生きるたくさんの時間に、息を吸って吐くように、私を表現しています。
表現とは。
優しさや喜びだけでは成り立たない。
生きるとは、人間とは、相反する2つのものを、同じ心に抱えているのだ。
私は、孤独を抱えた、寂しがりやなのである。
美しい花には、とげがある。
華やかな色ほど、毒を持つ。
夜と朝は同時に来ない。
しかし、日は昇る。
命をもらい、命を繋ぐ。
咲く者は、散りゆく。
美しい月は、孤独だ。
私には、男性原理アニムスがいる。
けれども女性なのだ。
とんでもなく自由で、解放的だが、そのことの寂しさや孤独や、心許なさもある。
選ばれし者は、恍惚と不安をもつ。
私は、生きながら、死を抱えて、なにかを表現する。
心よりもっともっと深い場所にある、魂を吐く。
感情よりも深い場所。
嬉しさも悲しさも、越えた場所。
言語では、表しきれないことがある。
2011年
5月
18日
水
私も少し大人になりました。
私が大人になると絵も大人になります。
子供のまま、大人になりたい。
やっとスタートラインにたった気がします。
ここが勝負時だってわかってる。
そう、その答えはyes。
そして、すべてに答えはなに1つない。
プロフィールにLive paintingの写真を追加した。
2011.4.10の子宮けい癌検診啓発イベントの15分間のライブペインティング。
その最後の瞬間の顔。
いろいろな思いに涙をこらえた顔。
忘れない。
絶対に忘れない。
なくさない。
絶対になくさない。
2011年
4月
15日
金
陽炎がライブペインティングをする前の私に見えたみたいだ。
オーラであり、魂であり、情熱であり、陽炎ではないかと思う。
ものすごい集中力だった。音も観客もなにも入ってこなかった。
魂と身体と絵の具の境界線を失った。
顔と画面と絵の具が1ミリの中に入ったとき、
悔しくて、嬉しくて、楽しくて、恐くて、ここにかけたくて、もっとかけていかないといけなくて、愛しくて、
これしかなくて、
涙をこらえた。
これしかないと言えないほど、私にはこれしかない。
次の日も次の日も驚くほど全身が痛かった。
神経そのものが痛かった。
この感覚を使うとこのくらいのものになる。ということがわかった。
私は、不安定で孤独の時に、絵を描く以外の対処法を知らない。
どこかにそれ以外のそれを取り除いてくれるものは、これから私に現れるのだろうか。
明日から小布施の展示。
とてつもないものができた。
2011年
3月
01日
火
もう3月。
最後のブログを書いたのは、11月30日。
ゆっくり腰を下ろして、長い日記を書く暇のない毎日でした。
ツイッターは、私のメモ書きみたなものに使ってます。
だから堅苦しい文章なんかばかりです。
そんなに一生懸命絵のことを語らなくてもいいのに。と思われているかもしれません。
でも、私の頭の中は、いつも夢みたいなことに夢中です。
だからほかにつぶやくことがみつかりません。
昨日ブログを更新する気になりました。
じっくり文章を書いて、考えて、宣言して、スタートをきろうと思う。
ドローイング展が無事に始まった。
330枚くらいになっただろうか。
実は2004年くらいから積み上げてきた表現に限界を感じていて。
なんで限界を感じたかというと、どうしてもあの頃に勝てないのだ。
絵も私も、ずいぶん大人になってしまった。
どこか上手に、器用に、渡れるようになってしまった。
破って破って挑戦していく強さが、なんだか私たちには足りない。
小さな場所でもがいてるだけになっている。
あまり絵に向わない年もあった。
向かっていたら違ったかもしれない。
でも、今はまた向き合ってる。
だから、私は、君と今までに向き合ってきた中で、一番まっすぐいようと思った。
だから、また1つ1つ創り上げる。
何が好きで、何が気になるの?
何をどう描こうか。
そんなスタートに、ドローイング展をもってきた。
これは見たらわかる。
今までの私と違う。
違うようでどこか似ている。
だから、ある画家の方に批判もされた。
がっかりだと言われ、
一枚一枚見れない。と言われ、
枚数稼いだだけ。とも言われた。
でも、いいんだ。
たくさんのメディアが芸術にも広がりをみせる。
でも、私は描くことが好きなんだ。
シーンに背中を押されて前に向かうよりも、私は、好きな道を自分で歩きたい。
絵が好きなんだ。
描いてるときは好きなんて言えないことばかりだけど、好きなんだ。
絵は正直だから。私に絶対嘘をくれない。
だから好きなんだ。
ドローイング、今回は私の体に、今までの生きている間に、生まれる前に、抱えたものを、もう一度、すべてだそうと思った。
もう一度、原点に戻る必要があった。
もう一度、君とゆっっくり話がしたいと思ったし、そうしないと、私と君は限界だったんだよ。
そしたら、2004年くらいの形やモチーフなんかもちゃんといた。
私の体を切り開き、骨も肉も血も探ってみたかった。
これは完成じゃない。完璧でもない。
また、うまくやっていくためのスタートなんだ。
一歩なんだ。
だから私は自分に、がっかりなんてしてない。
胸を張って前に進む。
いいドローイングがある。手放したくないものがたくさんある。
画家だと自分で言って少し売れて、長野や東京に少し知れ渡って、絵だけでご飯が食べれて、それで満足して。
私はそんな人生にするのは嫌なんだ。
中途半端に生きるのは嫌なんだ。
今までみたいな絵を描けばいいと思って、今までよりも少しだけ変化して、絵は低下して、エネルギーも低下して、それにも気づかず、気づいても気づかぬ振りして、スタイルに縛られて、ドローイングも今まで描いてきたモチーフばかり描いて、ドローイングにも完璧を求めて、少しうまくなって、少し何かを得て。
違う。
うまくなんてなりたくないんだ。
小手先だけで絵を描く人間にはなりたくないんだ。
誰かと自分が決めたスタイルなんてどうでもいいんだ。
そんなところに満足したくないんだ。
もっともっと壊して壊していい絵描いていきたいんだ。
君にだけは、背中むけたくないんだ。
もっと私は私の絵にみたいんだ。
たくさんのものが現れた。たくさんのもののようで、そんなに多くもない。
全部バラバラしているようで、どこか繋がっている。
そんな300枚になった。
あるアーティストの方が、あの日作品にもあなたにもエネルギーを感じたって褒めてくれた。
いいものには霊的な何かがある。その下の一流にはそれがない。
と言っていた。
たくさんの方が来てくれて、作品を買っていってくれる。
本当に嬉しいこと。
これからむかえる、下絵展、スペインの旅、小布施の境内での展示、NYのグループ展。
私は、世界に、時代に名を残すアーティストになりたい。
一生戦います。
売れることや地位や名声と戦うんじゃない。
目の前の君と今までの中で一番戦う。
2010年
11月
30日
火
twitterを始めてから、ブログおろそかにしてました!
最近壁画の仕事がずっと続いて、パソコンにあまり向かう暇もなく。
壁画の仕事がこんなに続くとは予想外。
こんなに楽しいとは予想外。
絵ってやっぱりいいのね。何にも変えられない。
温かくて強くて優しくて恐くて、さり気なく寄り添ってくれて、消えそうで儚くて、美しくて汚くて、生きていて、何にも変えられない。
この半年で、店舗への壁画作品は6作品。壁画以外の作品が5作品。
たくさんありすぎて数が間違っているかも。
年内は、MIST Luxury への作品と住宅の和室への仕事で終わるかな。
真剣に遊んでます。
やっと絵を描くことが最高の遊びだと言えるようになった。
どれもすべて1つも少しも妥協したことはないです。
時間がなかったら睡眠時間を削ればいい。休憩しなければいい。限界のベストを尽くす。
楽しくて一生懸命に苦しくて疲れて寝れなくて涙がでて、でもそれが楽しい。
この遊びが一番楽しい。
何をするよりも楽しい。
毎日ずっとこんなのがいい。
そして、疲れた時に少し寄りかかれる人たちとお酒があったら幸せ。
早くまた描きたいー。描きたい!
最近大学恩師の先生が、壁画を見てくれて、素晴らしい!と感動してくれた。
間の取り方、色、場所への対応、さすが造形大の学生だ!って言ってくれた。
そして私が、下書きをしないことに驚いて、よくそれで描けるね!!!と驚いていた笑
そうなんです。私そういえば下書きは正円などきちんとした形を出すとき以外、してない。
というか、下書きをしていないことに気が付かなかった。
本も桜も不死鳥も。
遊んでいるんです。
そこの場所で自由に遊びたいんです。
失敗できないものに対して
形が無いところに挑むことは、とても恐いこと。
だから最高に楽しい。
それだけの精神力は必要。だから強くなる。
そして、母校に前例のない職業だ。と言っていた。
1つ1つに一生懸命にこなしていたら、いつの間にか新しい職業を作ってしまったみたいだ。
確かに聞いたことがない。
今という時代と場所に寄り添っているのだ。
ちょっと恐くもなるくらい不思議で。
だって絵を描いて食べていけてるのだから。
でもまだまだ。まだまだ。
その仕事が、信濃毎日新聞の見開き半面に。
その日は、人生の中で一番メールがきた。
朝から晩まで、小学校の時の先生から、同級生のお母さんから、友達から電話。
メールは80件くらいきて。
地元に感謝です。私の絵を育ててくれているのは、温かい地元の人たち。
2月は個展も控えているし、
ここに満足せず、まだ見ぬ高いとこ目指して前進していくことを誓います。
2010年
9月
30日
木
絵の具が手や足から離れない生活がまた続いた。
描いても描いても描くことが終わらない。
髪の毛は太陽に焼けて傷んで、足は蚊に刺された跡と脚立にぶつけた跡ばかり。
寝不足や疲れもたまって、思考は止まる。
ただ、ただ、夢中に描く日々。
夜は、大抵次の日を迎えるまで。最近は平均睡眠4時間半程度で描いていた。
すべてが絵の具に染まっていく。
手も洗わずにコンビニで買い物。
血管みたいに手を流れる黒い絵の具に、店員さんがびくっとした。
絵の具は、服よりも近くに感じる物質。
絵の具という物質が、身体という物質を通して、私という存在と重なって、
ここにいなさいと私に言う。
形あるものは空。空は形あるもの。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
私の匂いのように、私の色になって、私を訴える。
私の色。私の肌。 私の存在。
手には、マニキュアや指輪はしない。
夜に1人、絵の前で、絵の具を足の爪に塗った。
最初は、どんなものでも、泣きそうになるほどできなくて、不安になる。
模倣しなければ当たり前のことだ。
できなくで、少し気がゆるむと本当に泣いているくらい落ちる。
でも、最後はいつもいいものになる。
いいものになると信じて立ち向かう。
これは、私との戦い。
私には負けない。負けちゃいけない。
最近、本棚と本を描きまくった。
本を描き続けて寝れずに生きるか、夢の中で本に潰されて死ぬか、
どっちかだ。と思った。
描かないで生きると言う選択は、私にはないと思った。
生きるか死ぬか。
それは、死を感じないと、生を感じない。
ということ。
苦労をしないと努力をしないと、本当には笑えない
ということ。
そういう生き方をしていたい。
最近絵を買ってくれた人に
越さんは自分を一言で表すとどんな人ですか。
と、聞かれた。
孤独な人だと思います。
と答えた。
月の光を浴びて、赤いワインを飲む。
髪は狼の尾。
2010年
8月
20日
金
気がつけば夏の終わり。
今年の夏は絵の具まみれの夏だった。
ぐちゃぐちゃに絵の具まみれで、ぐちゃぐちゃに汗かきながら創った夏。
休む暇なくそれが続いて、気がつけば夏が終わる。
残暑と一緒に、この夏の仕事たちもあと少し残った。
そして、新しく秋を迎える季節と一緒にまた新しく創ることが始まる予感もくれた。
創ることとそのまわりの人達との夏だった。
始まりは、ミストの2F。
450枚の鏡で天の川を創った。
映るシャンデリアやライトの光も星に変わる。
24歳の夏に見た甑島の天の川の記憶。
新しく七瀬にopenするお寿司屋さんの外壁。
家紋を入れることのみ要望があり、後は自由にやらせてもやった。
夕方からの屋根の上での制作は、夏祭りの一人舞台だった。
下にはたくさんの見物人が出た。
それから私が教える予備校のかわいい生徒達とシャッターアート。
座る道路からも夏を感じたり、夜は夏の匂いがしたね。
宇宙に私も、私という星、ダイヤモンドを描かせてもらった。
描ける日がある限り、雨の日もずっとずっと描き続けていた。
強く優しい絵。
ありがとう。
東京造形大学の恩師、教授の生嶋さんが長野に来たので、一緒にお酒を飲む。
本当によく飲んだ仲。
お酒の席で、造形大学広報の人を、真剣に周りの目を気にせずに、
学生のことを考え怒っていた。
そんなことしてるとこの子が泣きますよ。と怒っていた。
人を真剣に怒れる人であることに改めて感動した。
自分の利益以外で、こんなに叱って、訴えてくれる人は長野にはいない。
私のころは、帰れと言っても聞かず、描く、遊ぶ、そんな時代だったと言っていた。
何もかも夢中にやった。
守りに入ることを知らない攻撃的な学生だったと思う。
みんな目をぎらぎらさせて、ぶつかった。
次の日に、ばあちゃんが今朝採った夏野菜を段ボールのまま電車で抱えて持っていき、
おみやげに渡した。
生嶋さんも段ボールのまま抱えて、東京に持ち帰った。
太陽の下の緑色の野菜と、懐かしい思い出。
まだまだ戦い続ける人たち。
それから南石堂町のお祭りにて卒業生(大学生)と在学生と一緒に壁画制作。
また、ダイヤモンドを描いた。今度はそれに目を入れた。
帰ってきてくれてありがとう。
絵の具だらけの手で飲む昼間のビール。
壁画の繋がりで、夜は、南石堂町のお祭りにて
卒業生と2人で、20分間のLive Painting。
次の日も次の日も、興奮していた。
描き終えて、一番感じたことは
私は、描くことが好きだということ。
絵を描くときの私の目を、私が他の何をしているときにも見たことがないとよく言われる。
それから、酔っぱらっているところしか見たことがなかったと、よくこういう場面や作品をみてすごく驚かれる。
そのたびにやったね。と思う。
最高のほめ言葉だと思う。
苦しいところを見せて、絵は見せられない。
苦しく必死なことも笑って難なくやったような顔をしていたい。
私の努力や苦労は、内側に。
絵の表面には、もっと言葉にならないことを。
というかまだまだ努力や苦労がたりない。
簡単なことをより深く。
深いことをより簡単に。
なんでもないようなことをより大事に。
大事なことをよりなんでもないように。
2月にFLAT FILEにて個展が決まった。
GalleryオーナーのモリヤさんはんN.Y帰りの方で、(たしか、むこうには10年ほど住んでいたと言っていた)
いずれはFLAT FILEごとartistを抱えてN.Yに持っていきたいなんて話をしながら、Drawing10点を預けた。
1年間FLAT FILEにて、販売していますのでよろしくお願いします。
私もまだ見ていなくて、モリヤさんのハンドメイドの額に入れられているはずなんで、楽しみ。
2月の個展は、モリヤさんのご希望によりDrawing展です。
そういえばDrawing展は初めて。
200から300枚展示してほしい。と言われました。
じゃあ1000枚以上はとりあえず描こうと思った。
以前になるべく早くにやりたいと言ったら、みんな制作が間に合うか心配なので、なるべく遅い月を希望しているという。
私は空いている月の一番早い月を希望した。
私は二月でも遅いくらいだ。
創ることをそんなにのんびりやっていたら、そのまま何も創らず、死んでしまいそうで怖い。
すごく楽しみ。何が楽しみかというと、
自分がまた変われそうだから。
私の知らない私に会いたいのです。
N.YのGalleryもいくつか紹介してもらった。
以前から描いている身近な夢は、N.Yや海外に作品を見せていくことだったので、
ほんの少しだけその夢に近づけそうな予感。
まだ何も自分で動いてないので、ただの予感。
N.Y帰りのモリヤサんが作品を褒めてくれるのは、本当に嬉しいこと。
そして、お寿司屋さんの2Fの上座。
これはすべて任せてもらえたので、私の好きにやらせてもらえた。
それって、すごいこと。そしてプレッシャーで緊張したり落ち込んだりしながら、
完成した。
幹は白で、花はドットにした。
メニューには、腕前のある寿司職人さんのお寿司とアジアン料理になるらしく、
ワインも出すと言うので、赤ワインのメニューを増やしてもらった笑
その上座は、和よりにぜずモダンにした。
ある程度の形になるまでは、不安で不安で徹夜して朝9時過ぎまで描いた。
汗をかきながら一人静かに描くことは、本当に贅沢な時間で。
疲れきった体で、出来上がっていく花の下、贅沢な夏の花見をした。
それからライバル達と1泊2日のキャンプ、バーベキュー。
ここはお皿だから使っていいよ。と絵の具のついたズボン。
当たり前の堅い頭を持たぬ人たちとの時間は、ゆっくりとした時間。
前々日は、描くときも日常でも聞いている音楽を生で聞きに、
一緒に6人でクラブに行って、全身筋肉痛に。
みんな好きな時間に一人一人帰っていった。
Jazzin’parkの栗原さんと話した。高校生みたいだね!と言われた笑
何か一緒にできたらいいな。
みんながびっくりすること!
それからArtistでもある、多摩美の講師の栗原一成さんと意気投合し、いろいろ話せたこともいい時間だった。また栗原さんと東京の多摩美学生達と一緒にお酒を飲みながら、日本のアート界を盛り上げていく話ができたらと思う。
そんな私の夏の残暑は、新しいお店の絵の依頼がおそらく3店舗とお寿司屋さんのトイレデザイン。クラブでのLIVE PAINTING。そして、1000枚を越えるDrawingを始めること。
本来の自分の絵を描くことと、お店へのデザインは決して重ならないけれど、
長野が私でいっぱいになることや、創ることは本当に楽しい。
もう一つ、決めたことがある。
けれど現実になるまでこれは言わない。
たくさんの絵の具まみれが幸せで、もっともっとそうなりたい。
After Summer.2010
2010年
7月
15日
木
Mistの2Fに6角形の金と銀の鏡を250枚使って何か表現したい。
そんなお話をオーナーの高野さんから頂き、南米をイメージした空間に鏡で天の川を創ってます。
和田内装の方と。職人さんってすごいな、と尊敬することばかり。
まず、持っているものがおもしろい。
知らないものばかり。知らないことばかり。
全然滑らないマットや銃みたいなシリコンとか、ゴミ袋のような頑丈な袋とか、鏡もカッターで切れるのか・・・付いたら絶対にとれない両面テープとか。
なんだこれー!と
素朴でいて感心するような道具やことばかり。
素朴なことに人がつくることの力強さを感じた。
それで鏡をとめた後に、
もう絶対とれないよ
と安心する言葉と
でもとれるから大丈夫
と安心する言葉
をくれました。
そして
私が求めてる場所にピッタっとあててきます。
以前からお世話になっている方。
私のファンでもいてくれます。(たぶん)
この方と会って、他の誰とでもなく、
こうしてこの仕事を一緒にしていることは、やはり必然でした。
そしてもっとそう感じるものを創れるだろうと確信しています。
一緒に仕事をしていると、私に似ているなと思うことがあります。
会わせてくれた和田内装の同級生にも感謝。
いつも助けてくれます。
いつも味方でいてくれます。
月曜日、壁だけで250枚の鏡が1日で終わってしまいました・・・
来週追加したもう250枚で続きを創ります。
次の日に、その時は夢中になって気付かなかった脚立にぶつかっていたらしい足が、
大きな青あざになっていた。
でも可能ならば、寝ないで完成させてもいいくらい夢中でした。
大概そういう時は、終わって腰を下ろしたと同時に疲れも降りてきます。
夢中になると、食事をとることも休憩することも忘れてしまう。
そんな体の疲れがとても気持ちいい。
あまり頭が回らなくなるのも気持ちいい。
天の川を見たことがある。
大きな大きな天の川を甑島で見たことがある。
夜の海辺の長く続く道の上に大きく大きく広がって
私が歩く道を写した。
その川を越えよう。
来週はもっともっと疲れよう。
誰も見たことのない大きな大きな天の川を
私も見たいから。
2010年
7月
14日
水
朝、歩いていて、ふと思った。
じっくり考えるという時間と移動するという時間(場所から場所へ移るまでの時間)は、
歩くリズムと早さに一番はまる。
歩ける体がある限りは、人力のみで移動することが、一番直に身体に入るのだ。
自転車の早さや、そのたどり着くまでの時間に、私の思考は追いつかない。
車なんて論外。
何も感じないままゴール(目的地)に着くことが多い。
それでも遠出をする時なんかは(最近でいうと東京)歩くわけにはいかないけれど、90分で着いてしまう新幹線よりも、3時間かかるバスがいい。
ゆっくりゆっくり場所を移動しながら、ゆっくりゆっくりそのリズムにのって
ゆっくりゆっくりものを考えることができる。
思考だけではなく、国から国へ時空を越えると体はどっと疲れる。
これだけの距離と時間を越えるのだから、これくらいの体への影響は自然なことだ。といつも思う。
それは、人間なのだ。といつも思う。
たった1人の小さな人間なのだと。
歩くこと
それはじっくり進むこと
大地を踏みしめること
太陽の光を浴びること
月の暗闇の中の孤独と強さを感じること
同じ月を見ること
雨の温度を知ること
寂しさと無力を感じること
風と空気と重なること
風になった人を思い出すこと
その香りがすること
絵を描くこと
お腹が空くこと
夢中になること
ART.Music.Pink Diamond.Rainbow.Books.Notes.People.Birth.Death.Life.
汗をかくこと
涙が出ること
そのリズムに私の体に混ざる脳や意識や精神や感覚が興奮する。
30歳になりました。
やっとわかってきたこと。永遠にわからなそうなこと。
自分で歩き、生き急ぐくらい突っ走っていきたいです。
たくさんのメールや電話やparty。ありがとう。
もらった手紙に書いてあった。
今こうして生きていることはとても素晴らしいことだと最近思うよ。
だから越ちゃんの30年という長いようで短い時の流れも
ひとつの奇跡だと思います。
これからもキミのたっている場所からキミのメッセージを届けて下さい。
それはきっと世界に届くよ。
WE ARE ALL ALIVE!!
WE ARE ROLLING STONES.
誰にも言ったことはないけれどLIKE A ROLLING STONESは私の好きな曲。
Special thanks.
iso.yasue.tsuruchan.acchan.yu-ki.okuyama.yuki.shinchan.chichan.hisashi.
tomita.hisa.sumiko.yoko.emi.miya.tomo p.fumie.yusuke.shigeru.ayako.kaho.
moeno.yo.jyun.ayaka.masakuni.Mr kamata.takumi.my family.
2010年
6月
24日
木
ダライ・ラマ長野講演。
初めて長野に来ることを知ったのは、2009年12月23日の信濃毎日新聞。
それから、半年。
2月のチャリティー展覧会を終え、そしてまたいくつかの展覧会が始まり、
描き続ける中で、どうしても聞いてみたいことがあった。
2008年の東京講演では、質疑応答の時間があり、格闘技界と柔道界への選択を迷っていた石井選手がそれを質問していたのを覚えている。
でも、今回は、北京オリンピック聖火リレースタート地点を、善光寺が辞退したことの感謝の意を示したことで決定したと言われていて、様々な問題から質疑応答はないと思う、と聞いていた。
それでも私はずっと来ることを知った日から、私が話して、絵を渡せると信じていた。
そうなると感じていた。
確信はどこにもないのに、家族や友人にはそう伝えていた。
当日は、セキュリティーチェックが厳しくて、手荷物はすべて隣の会場に預け、携帯と貴重品しか開場に持ち込めなかった。
私は、伝えたいことを書いた紙をチケットより先にポケットに入れて、(友達にはチケット忘れてるよ、といわれた笑)
絵は高価に見せれば貴重品になるかね!なんてのも却下され、
絵も預けて会場に行った。
席は、質疑応答の時間になったら、すぐに前に出で行けるようにアリーナ席の通路席にしておいた。
1時間前に着き、着席していると、アナウンスが流れて
質疑応答希望者は今から先着順でアリーナ席から6名、2階から2名、3階から2名受け付けますので所定の場所に並んで下さい。
と、言われた。
やっぱりあった。と思いながら
所定の場所がわからない。
見つけたときには、“アリーナ席所定の場所”にプラカードが立っていて、
すでに10人くらい並んでいた。
だめだと思った。
諦めながらも、少し早歩きで向かってそれでも並んだ。
すると、前の人が団体で消えて
最後の6番目の鮮やかなオレンジ色のたすきをもらえた。
だから、私もう大丈夫だって思った。
公演中は、ずっとその紙を手に握っていた。
無くしてしまうのが怖かった。
絵を描く時の感覚や、箸じゃなく手で食べるような感覚でもあった。
3時半に集合と言われたので
1番乗りで場所に行った。
時間的に全員が質問できないのもわかっていた。
もしかしたらの可能性で、席に来た順になればいいと思った。
さっき、何を根拠にもう大丈夫かなんて思ったのかわからないほど、また不安になった。
僧の方に
意見をまとめてきたと不意に紙を見せると、時間がないから短くしてくれと言われた。
自分から話しかけておきながら、
すべて伝えなきゃ意味がない。と思い
勝手に却下した。
時間になり
「たすきをもらった順に並んでください。」
と言われ、
6番目じゃだめだ。
と思った。
マイクは左右の通路に1本づつの計2本あって、
左側はアリーナから、右側は2階3階からの質問者が並んだ。
会場をダライ・ラマ近くの左側マイクに進んでいる最中に
「6番目の人はむこうのマイクに行って」
と言われた。
何か起こりそうな予感がした。
けれど、その人に
「むこうのマイクの一番後ろについて」
と言われた。
1番最後じゃだめだ。
とまた思った。
一か八かで右のマイクの方の人に
「アリーナの6番なんですけど」
と言ってみた。
「アリーナ6番目の人が先頭です」
と、右のマイクの先頭に立ってしまった。
私は2番目に意見を言った。
ダライ・ラマに「次は君だよ」と指をさされた。
7000人の中の10人の中の、結局4人しか話すことが出来なかった。
私は、3番目のたすきでも、5番目のたすきでも話せなかった。
講演会が終わって、帰り際に近くの尼僧の方に、意見を述べた者であることと絵を渡したいことを伝えてみた。 はい、わかりますよといったような優しい笑顔で
今取りに行けるなら渡しておきますよ。
と言ってくれた。
たくさんの贈り物がない場所で“質疑応答で話した彼女の絵”を渡せた。
絵の裏にはサインとは別に名刺を名前代わりに貼った。
私が意見を述べるとき、名前を言ったことで、前から名前を知っていたと中学校の美術教師の方が話しかけてきてくれた。
大型スクリーンに顔も映し出されたことで、会場にいたデザイナーの友達も元気をもらったと、連絡をくれた。
名前や顔が知られることは、とてもいいことだ。
だから私はあえて名前を言った。
私がしたい、やりたいこと、やるべきこと、をたくさんの人と分かち合える1つだから。
私が影響力を持てばメッセージが大きく広がっていくから。
言葉は強い力を持てるから。
ただ、描く行為だけは無だ。
それに言葉をつけて説明し始めると、言葉だけが空回りして、奥のものよりも遙かに
表面で上辺を遊んでしまう。
なんのためも考えない。誰のためのものでもない。
価値のないことに無意味なことに最大の価値がある。
その無価値と存在が接着面がわからなく重なるのがいい。
ダライ・ラマの最初の答えは
I don't know.
私はたぶんその答えを待っていた。
その後に、
あなたの意見に非常に感銘を受けたというようなことと、21世紀を担う若者がこういうことを考え行動していることが嬉しいというようなことと「9回失敗したら9回挑戦すればいい」というチベットの諺をくれた。
そして手を合わせてくれた。
緊張して答えをはっきり覚えてないけれど、言葉を思い出して並べるよりはっきり心に入った。
何よりも私は、7000人の人に
芸術は生命そのものであり、生きることそのもの
と言えてよかった。
たくさん緊張して、震えて、でも言えた。
やっぱり言えた。
それは貰ったチベットの諺だった。
やりたいこと、描いた夢。実現していく力に自信をもって
もっともっともっと頑張っていく。
何度も何度も失敗して、挫けて、それでも何度も、何度も、前に進む。
そして私はその中でどんなことがあっても世界の人々のことを忘れない。
妥協も後悔もしない人生にする。
近くで私を見つめて笑う活仏、観音菩薩。発言する前の静まり返った空気とキラキラしたライト、大型スクリーンの中の私、話し終え会場を歩き出したとき、何かが見えた。
私の話したことは次のことです。
「今日はようこそおいで下さいました。
私の名前は越ちひろと言います。油絵を描いています。油絵を描くこと、絵を描くことを職業としています。その中で考えていることがあります。
2007年N.Yで、デザイナーたちが、残りの90%の人々のためのデザイン展という展覧会を開催しました。今、私が手にしている製品やサービス、デザインは、世界の10%の人々にしか触れられていないことを知りました。その他の90%の世界の人々はそのデザインを手にできないばかりではなく、食料やきれいな水さえも口にできないこと、そして6人に1人は1$以下の生活をしていることを明らかにさせられました。
作品は、世界で使われているどんな水でも飲み水に変える個人携帯用浄水器や、自分の力で貧困から脱出させている農業用具などでした。
私は絵を描くアーティストです。製品をデザインすることはできません。
しかし、芸術は生命そのものであり、生きることそのものです。それは人の心を豊かにします。私はそんな仕事に誇りを持っています。人の心の豊かさはどんな場所のどんな人にも必要だからです。
私は、2月に長野市で、38人のアーティストを集めチャリティー展覧会を開催しました。 68点中45点を売り上げ、全額のおおよそ27万円を寄付しました。
しかし、集まったお金を団体に寄付し、託すことが最善の方法ではないと思います。
デザイナーは直に製品やプランから手を貸すことが出来ています。
私たち芸術家、絵描き、アーティストはその資金をどのように動かしていけばよいか何かありましたら教えて下さい。」
この答えはダライ・ラマと話した直後に、少し見えてきた気がする。
アーティストとデザイナー、その他もっともっとたくさんの人たちと一緒に考えていけばいいのか。と。
-ダライ・ラマの般若心経より-
ダライ・ラマがカルマ(業)について述べた文(部分)
生命は無限である。それには始まりも終わりもない。よって、行為、カルマもまた始まりもなく、終わりもない。カルマは無限である。いわゆる無限大のカルマがあることになる。
般若心経の翻訳(部分)
現象を形作る5つの集積したものをよく見極め、その本質が空であることであると見徹すべきである。
形あるものは空であり、空は実に形あるものである。
形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。
かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。
それらは生じず、減せず、汚れず、清純でなく、完全ではなく、不完全でもない。
したがって、シャリプトラよ、実に空においては、
形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、意識もない。
眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。
形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。
視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、認識する要素もない。
知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。
老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、悟りに至る道もない。
叡智もないし、達成することも達成しないこともない。
2010年
6月
22日
火
15日、16日のopening party。
おおよそ4時間の間に来てくれた人45人。
3分の1は結婚式と同じ大学メンバー。
2月の展覧会東京メンバーもほとんど来てくれた。
それから東京にいる元生徒であり友達。
みんなありがとう。
展覧会作品画像は、展示終了後、 Exhibition Works と Works に載せます。
2010年
6月
22日
火
大学仲間の結婚式。
りんた、弓おめでとう。19歳だった林太郎。KOSHIKI ART PROJECT代表。
たくさん一緒にいました。たくさん側で支えてもらいました。
そして、その仲間たち。絵描き、アーティスト、デザイナー、その他。
それぞれの道を進み続けていることに励まされた。
本当に見えないものに向かってただただ無我夢中に進んできた学生時代と卒業後。
それぞれの道が開けてきたことを感じて嬉しかった。
創りつづけてきた証拠。やり続けてきた証拠。
ただ創り出すことが好きでたまらない人たち。
10年後がますます楽しみ。
2010年
6月
10日
木
entkukuiの個展のopening partyします。
15日19:30-ある程度の時間まで。
16日19:30-20:30
みなさんに会えるの楽しみにしています。
今日東京に搬送しました。新作9点。
作品梱包したり運んだりしてると、これ普通の女の子には無理だな、といつも思う。
でも、一応は、なんだってやろうと思えばできるし、やりたい!って思う。
絵描き?芸術家?アーティスト?どの肩書きもいつもしっくりこない、
けれどそれらってパワフル。
たる木切って木枠つくって、綿布張って、バンド水塗って、ジェッソ塗って、手のひらに青あざ出来て、描いて、描くだけじゃないことして、運んで、釘打って、ドライバー使って、展示して、DMデザインして、名刺つくって、壁ペンキ塗って、おかげで高いところも平気だし、重い物も持てるし、デザインも勉強してないけれど自分の好きにやってる。
できるだけ出来ることは自分でやって体に染み込ます。
無理かもと思ったことも人に託さずとりあえずやってみる。
自分の手でやることが、一番実感するから。
やったことは、苦しくても苦しかった分だけ、何百倍もの喜びに変わるから。
その経験が、これから起こる苦しいこともきっとそうなると信じて進めるから。
選択肢は、苦しく未知で怖い方を選ぶ。
楽な方は、もう私が知り得ていること。
わかっていることを繰り返しても道は切り開けない。
絵も同じ。挑戦。創造と破壊の繰り返し。
描くことには、その実感が最大にある。
パソコンを使った仕事は、人に頼っている感覚がある。画面に色を置く行為も。
このパソコンが壊れたら、私はパソコンのせいにする。出力したときの色の違いもどこかのせいにする。
でも、絵が駄目なら、私のせいだ。全部私のせいだ。
大きな機械であっさりできる物より、自分でノコギリや小さな機械で切った物に喜びを感じる。
大量生産よりも、世界にたった1枚の絵がいい。
絵の具がなくても、水と土だって描ける。足だって描ける。地面にだって描ける。
それすら無理なら、紙を破ったり、何かで形をつくるのもいい。気持ちがあれば生むことができる。
私が創る。何もかも私の好きにする。そこに芸術はある。
無意味なものが、とても大切だったりする。
たくさんの絵が消えた部屋。
落ちた絵の具が、床をまた新しくした。
2010年
5月
31日
月
長野でのグループ展に参加することになりました。
6月は展覧会が3つ重なり、こちらでの作品は新作とはいかなかったのですが、油と紙作品2点出品します。
ARTSPACE FLATFILEは額縁のオーダーメイドもやっているそうなので、今回の作品は額と作品の合わせ方にこだわりました。
油絵も額に入れて遊んでみました!満足!!
うわっと驚かせてあげます。から、どうぞよろしくお願いします。
今、家では、エンククイのための「心臓」描いてます。今日完成予定。
7月の誕生日以降からカバラ占術によれば数十年に1度の運気だそうで。
今は、何にも言葉というものが出てこないので、3つの展覧会がすべて始まって、またかきます。
最近、見えているラインを捨てました。
長野在住のアーティスト展 NAGANO ART FILE 2010(naf.=ナフ)
6/4(金)~27(日)
営業日:金・土・日(10:00-18:00)
オープニングパーティー:6/5(土)5:00~8:00
参加アーティスト
Abnormal system、arais、Biondy Chopper、KOHKI、石川宗男、内山温那、岡沢じゅん、小笠原勝之、勝山ゆかこ、木村仁、小池マサヒサ、越ちひろ、小林愛枝、小林野々子、島田恵子、清水隆史、須藤友丹、たかはしびわ、田中克樹、なかむらじん、中村眞美子、朴再英、広瀬毅、モリヤコウジ、渡辺祥子
2010年
5月
20日
木
Moleskine。
ゴッホやピカソやヘミングウェイらに愛されたノートブック。
Moleskineのサイトに私のNote Bookが載りました。
2010.5.19 越ちひろの“瞬間”のためにモレスキン
2010年
5月
13日
木
2010年6月15日(火)-6月30日(水)
art&bar [entkukui]
エンククイ
東京都渋谷区恵比寿1-8-7三恵8ビル1F
営業時間
月-木:19:30-2:00
金:19:30-5:00
土・日:19:30-0:00
展示会場art & bar [entkukui]は、バーです。
ご来場頂いた方にも、お飲み物のご注文をお願いしております。
定休日
祝日(臨時休業あり)
tel:090-2522-0991
今日までか、昨日までかの15日間だかは、
まるで1ヶ月ぐらいが過ぎてしまったかのような長い長い15日だった。
そう感じるのに、その15日間をよく覚えていない。
覚えていないというよりは、記憶のどれが夢で、どれが現実で、何がうそで、何が本物なのか、
わからなくなってしまった。
月曜から、15日ぶりに絵を描く。
絵を描いている時間は、アトリエが宇宙に浮くたった1つの部屋のように感じる。
それでいて、床につく身体からは、地球の大地を感じる。
立っている時も、座っている時も、
疲れてバタンと仰向けになったときも
床につくすべての身体からそれを感じる。
mistの作品を制作した時は、
大抵8時には起きて、朝ご飯を食べた後、そのまま台所でコーヒーを飲みながら、
2時間、ノートや携帯やらとぼーっとする。
そこで、よし!と感じたら、部屋にこもる。
眠くなった時は絵の下で寝る。
今日はここまで、
と感じるのが、夕方5時から7時半。
夜は気分が乗らなきゃ、お酒を飲んで寝る。
音楽は、Jazzin' park のJoyやcopyright feat. song willamsomのHe is。
Kyteのsunlignt。
それに飽きたら、J-popやフジ子・ヘミングのピアノなんかもいい。
孤独や寂しさを感じると絵が深みを増す。
描く日々は、描く時間は、
私の役割がある。
幻覚や夢みたいな中のリアルの下にいる。
幻覚の下で、どっしり地に足がついていることを感じる。
月曜日からは、絶望する瞬間が待っている。
涙が出そうなほど嬉しい瞬間もまたあるだろうか。
まだ私の知らない私がいる。
2016年
1月
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木
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3月
12日
水
2014年
3月
11日
火
私のこの絵はインドに行く空でした。
その空そのものだった。
あまりにもそのままだったので
友達に言葉なしにこの写真を送ったら
"この絵は空だったんだね"
って言ってくれた。
2014年
2月
14日
金
2013年
11月
03日
日
2013年
7月
27日
土
去年9月に行ったハワイで、100頭くらいのイルカと海の神様ウミガメと泳いで、You are lucky girl!!って言われた。懐かしいな。
旅が好きだ。
ハワイの地でこんな仕事がしたい!って思ったことが、ハワイアンレストランTIKIの壁に実現する。
11月にはバリ島に行ってライブペインティングしたり、子供たちとワークショップするつもり。
8月は気仙沼。10月は大儀見元さんと大口純一郎さんと甲府。
少しずつ、長野から出始めた。
名前も住んでいる国も知らない人が、携帯の待ち受けにしてくれたり。
なんだか不思議。
2013年
7月
07日
日
ここ何年かの自分の表現への向かい方を一言で言うと、
正直に表現すること
恍惚とした唯一無二の
新しいものをみせること
それは完全な清らかさをもち純粋であること
そんな気がする。
スタイルとか作風って、こうしようってするものではなくて
気がついたら後ろにあるもの。
けれど私は、自分のスタイルに自分が束縛されるのを嫌う。
最近、越さんの絵って本当に越さんみたいだねって言われた。
私はずっと変わらないねって言われた。
変化に変化していく柔軟さと、
ずっと変わらない深いところが必要なんだ。
私は私の絶対を、疑う。
可能性はそれ以外の場所に山ほどある。
自分で道を見つけたり、細い道でも歩きながら作ったり、そこでたくさんの色とりどりの人と出会ったり、
そんなことをして私らしく挑戦していきたい。
好きなことを仕事にする覚悟を中学3年生の時にした。
情熱は足りているかってこと。
まだまだ一歩。
好きな言葉って聞かれてもずっとなかったのだけれど、
最近見つけた。
唯一無二。
2013年
3月
06日
水
2013年4月から長野市の五分一カルチャーセンターで、月2回の絵画教室をはじめます。
もともと、父がクラシックギターを教えている場所で、私も始めることになりました。
フリーランスのペインターになって3年目。
また新しいことをスタートしてみようと思います。
とはいっても、絵は教えるものじゃない。
そう思っています。
専門的な技術ではなく、こどもたちの想像力を伸ばすこと、それを表現できるようになることをコンセプトに、自分らしくできたらなと。
それで、対象は小学生にしました。 一般コースはおまけです。
長野に拠点を移してからは6年、美大進学予備校の講師をする中で、ワークショップの中で、イベントの中で、
私のたった一言で
たった一つのアドバイスから
描く背中から
表現できたそのものに笑顔になるこどもたちの姿をたくさん見ました。
同じ目線に立って夢中になっていたら、いつの間にか子供たちといる時間が好きになっていました。
その中で、私がずっと守り続けてきたことがあります。
それは、なんでもやらせること。
自分で決めさせることです。
どんな小さなことでも手をかさずにやってきました。
もう一つは、大人たちが一般に思う色のにごりや絵の出来を
決めつけないことです。
服が絵の具だらけになってもいいじゃないか服なんてと、言ってきました。
ゴミと芸術も紙一重、汚いと美しいも紙一重です。
はさみを持ってくること、紙を用意すること、片付けること、
何か言いたいことをいうこと、
色を選ぶこと、
やるかやらないか、
答えは自分の中にあること。
それは
自分と向き合うこと
自分を知ること
人任せにしないこと
できなかったときに誰かのせいにしないこと
友達の作品に愛を見れること
人の気持ちを想像できる子に
愛や夢を抱ける子に
それが
想像すること。
表現すること。
そう思うのです。
今年は、絵画教室以外にも、高校生や子供たちとの関わりが増えそうな年です。
教室はゆったりできたらなと思います。
海外に出かけたりなどの時はお休みさせてもらったりすると思いますが、よろしくお願いいたします。
お問い合わせは直接カルチャーセンターにお願いいたします。
381-0034 長野市高田368-5
tel.026-262-1282
fax026-262-1283
2013年
2月
20日
水
私は、たった一つの
たった一人の私から生まれる
今日というたった一つの日の
その瞬間の刹那に
愛した
そのことや
ものや
その線を
愛する
そして私はいつも
世界にたった1枚のその絵を
その目の前に立つ
たった一人の人にむけたいと思う
その絵の前に立つたった一人の人が世界中にたくさんになればいいと思う
そして、私は多くのものではなく
たった一つの
私を愛する愛がほしい
いつも一つでいいんだよね
2013年
2月
18日
月
またお返しするものができました。
あたたかい愛を走れる手と足にもらいました。
強く儚き優しい人間でいたいです。
いつも真っ直ぐ純粋にいたいです。
本当に大切なことはどんなときも守り、伝え続けたいです。
何度も何度も、ありがとうを。本当にありがとうございました。
そして、今までもこれからも絵を描くたった1人の小さな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
生きることは、描くことは、大切なものを丁寧に愛するということ。強さも弱さも醜さも美しさも憎しみや孤独や愛を抱え生きること。毎日の刹那に儚さとそれでも確かに存在する生を全うすること。
2013.2.18 愛を込めて
2012年
1月
08日
日
A HAPPY NEW YEAR
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
昨年は、芸術の非力さと、それでも無力でない力、を実感した年であり、
自然の猛威を見せつけられ、ただただ、呆然と立ちつくし、
それでも復興へ向かう人間の、強さを感じた年であり、
原発とその放射能の見えない怖さの中で、子供達と日本の未来をどう守っていくのかを
考え始めた年でした。
芸術家として、は、私の中で、人間として、と同じです。
人間として、やるべきこと、できることは、
生きていたら、永遠になくなりはしない。
だから、私は、これしかできないって言葉だけは吐かないって、
去年、決めました。
私は、絵だけ描いてるわけにはいきません。
私は、絵を描くことだけしか、できなくはない。
そして、これからも、ずっとすっと絵を描いていたい。
今年は、重心を落として、進んでいきたいと思います。
そのことの、本当にあるべき姿。
そのことの、本当の意味。
表面の内側の奥の奥の奥にある。そのこと。
大事なこと。
大切なもの。
見えないもののリアリティを。
もう一度、見つめ直す。
答えのない世界で、正しいことなんて、何にもわからない世界で、
私の信じたり、信じたかったり、
進みたくて
進むべき
道を
一歩、一歩を大切に
まっすぐ進むこと。
描くことの素晴らしさは、
手間をかけることの大切さは、
絵は、
人と人の中にあり、
人の中にあり、
生きるもののなかにある。
ここに、返すものがある。
たくさん返すものがある。
2011年
12月
14日
水
18日の収益を楽器に換えて被災地の子供達に贈る、復興支援イベントのため、福島県を通って、宮城県山元町へ。
福島県に入ると、ガイガーカウンターが鳴る。
子供達が住めない場所に、子供達がいる。
まだ宮城は測定もされていない。
山元町。なんにもない。なんにもなかった。
大地にそれでも生えてくる、雑草を踏むことができなかった。
仙台市で、たくさんの涙をみて、涙した。
山元町で見た光景が、人々の涙と重なった。
ここにいる誰しもが、震災で愛する人を失っていた。
なんにもない大地から、津波と共にここに来たのだろう貝殻を一枚拾った。
忘れない。絶対に忘れない。
私には何ができるだろう。
ずっとずっと、私には何ができるだろう。
これしかできないって言葉は、吐かないって、いつの日にか決めたんだ。
2011年
9月
29日
木
ニューヨークから帰ってきて、みぞれりんごのうめ酒が発売になり、24時間テレビの壁画監督、三四六さんのCDジャケットの絵、欅屋びくらさんの2.6X7mの壁画が完成、などなど。
そして10月は篠ノ井市民会館でのライブペイントや、創業180年の柏屋さんの桐・杉の部屋一面への制作が始まる予定。
ポンタさんのドラムももうすぐ届くのだろうか。
そんな中、来年3月を予定して私の画集を出すことが決まった。
ついに、ついに、本になる。
キャンバス作品だけじゃなく、この本には、私の絵と私を囲むできるだけたくさんのものを詰め込みたいと思う。
描くということ。
私にとって描くということは、キャンバスの白い画面にただ向かうことだけにない。
どこへでもなんだって私らしく、描ける。
今まで、お金は経験と体験と出会いと絵に使ってきた。
描くという表現は、私の生きるという表現である。
そしてたくさんの場所から、たくさんの人と絵を通して出会いたい。
言葉よりもずっと心でわかりあえるから。
忘れてゆくものや薄れてゆくもの
目に見えないものを
深く大切に忘れないようにしたり
心に持っていられるようにすることが
私の役目なんだと思います。
びくらの壁画を描いていて、楽しいですか?と
何人かの人に聞かれた。
本当に楽しいことは、とても苦しいことたっだりするから、
私は楽しいですとは答えられなかった。
まっすぐ純粋に楽しく歩こう。
誰の意見も気になんかしていられない。
もっと気にしなくちゃいけないことが山ほどたくさんだ。
私は私の上を歩く。
2011年
8月
09日
火
村上ポンタ秀一さんのドラムへのペイントが決まり、6月辺りに、ポンタさんに会いに行った。
その時に、心の中で
スペインの真っ赤な夕日と情熱みたいなドラムにしようと決めた。
それは、ポンタさんには伝えなかった。
ニューヨークにポンタさんから、パール楽器さんから、連絡があった。
きっともうすぐ届く。
帰ってきて、ポンタさんが、自分の永遠の中の一枚を送ります。イメージの参考に。
と1枚のCDが送られてきた。
Miles Davis
ジャズのサックス奏者だ。
CDのタイトルは、
Sketches Of Spain
スペインのスケッチだ。
2011年
8月
09日
火
いろんなものが、大きかった。
町も人もファッションも絵もハンバーガーもギャラリーも。
確かなものは、日焼けとダニ。
歩いて歩いて見つけて見て会って実感した。
夜はこの旅で知り合った人たちが毎日毎日会ってくれた。
見たものも8本のフィルム写真も過去になり、思い出となり、人は淡く儚く夢のよう。
とにかくたくさんのポストカードをあの場所に置いてきた。置いてきたのじゃない、手渡した。
私の絵をみんながBeautifulって褒めてくれた。
絵だけじゃなく、トランクや帽子やペンダントも褒めてくれた。
そのことは、私そのものが、表現なのだと再確認させた。
どこも手を抜く気はない。
またあの場所へ行く。今度はもっと大きな絵を見せに行く。
儚いものは、確かなのだと確かめに行く。
今は、淡く夢のよう。
いつかじわじわくるのだろうか。
今は、肌に残るものだけが確かであり、これもまた、消えていく。
人生とは、その繰り返し。
淡く儚く、確かにここにある。
私は永遠の旅人になりたい。
探し物がある。
2011年
6月
24日
金
最近呼吸をするように私を表現しています。
店舗デザインを手がけた時は、近所の滝に枝を集めに行って、枝でオブジェをつくる。
庭の花で、生け花をする。
散歩しながら、花冠をつくる。
野菜を大きなお皿に盛りつける。
プレゼントに絵を描く。
その合間に、キャンバスに向かう。
私が生きるたくさんの時間に、息を吸って吐くように、私を表現しています。
表現とは。
優しさや喜びだけでは成り立たない。
生きるとは、人間とは、相反する2つのものを、同じ心に抱えているのだ。
私は、孤独を抱えた、寂しがりやなのである。
美しい花には、とげがある。
華やかな色ほど、毒を持つ。
夜と朝は同時に来ない。
しかし、日は昇る。
命をもらい、命を繋ぐ。
咲く者は、散りゆく。
美しい月は、孤独だ。
私には、男性原理アニムスがいる。
けれども女性なのだ。
とんでもなく自由で、解放的だが、そのことの寂しさや孤独や、心許なさもある。
選ばれし者は、恍惚と不安をもつ。
私は、生きながら、死を抱えて、なにかを表現する。
心よりもっともっと深い場所にある、魂を吐く。
感情よりも深い場所。
嬉しさも悲しさも、越えた場所。
言語では、表しきれないことがある。
2011年
5月
18日
水
私も少し大人になりました。
私が大人になると絵も大人になります。
子供のまま、大人になりたい。
やっとスタートラインにたった気がします。
ここが勝負時だってわかってる。
そう、その答えはyes。
そして、すべてに答えはなに1つない。
プロフィールにLive paintingの写真を追加した。
2011.4.10の子宮けい癌検診啓発イベントの15分間のライブペインティング。
その最後の瞬間の顔。
いろいろな思いに涙をこらえた顔。
忘れない。
絶対に忘れない。
なくさない。
絶対になくさない。
2011年
4月
15日
金
陽炎がライブペインティングをする前の私に見えたみたいだ。
オーラであり、魂であり、情熱であり、陽炎ではないかと思う。
ものすごい集中力だった。音も観客もなにも入ってこなかった。
魂と身体と絵の具の境界線を失った。
顔と画面と絵の具が1ミリの中に入ったとき、
悔しくて、嬉しくて、楽しくて、恐くて、ここにかけたくて、もっとかけていかないといけなくて、愛しくて、
これしかなくて、
涙をこらえた。
これしかないと言えないほど、私にはこれしかない。
次の日も次の日も驚くほど全身が痛かった。
神経そのものが痛かった。
この感覚を使うとこのくらいのものになる。ということがわかった。
私は、不安定で孤独の時に、絵を描く以外の対処法を知らない。
どこかにそれ以外のそれを取り除いてくれるものは、これから私に現れるのだろうか。
明日から小布施の展示。
とてつもないものができた。
2011年
3月
01日
火
もう3月。
最後のブログを書いたのは、11月30日。
ゆっくり腰を下ろして、長い日記を書く暇のない毎日でした。
ツイッターは、私のメモ書きみたなものに使ってます。
だから堅苦しい文章なんかばかりです。
そんなに一生懸命絵のことを語らなくてもいいのに。と思われているかもしれません。
でも、私の頭の中は、いつも夢みたいなことに夢中です。
だからほかにつぶやくことがみつかりません。
昨日ブログを更新する気になりました。
じっくり文章を書いて、考えて、宣言して、スタートをきろうと思う。
ドローイング展が無事に始まった。
330枚くらいになっただろうか。
実は2004年くらいから積み上げてきた表現に限界を感じていて。
なんで限界を感じたかというと、どうしてもあの頃に勝てないのだ。
絵も私も、ずいぶん大人になってしまった。
どこか上手に、器用に、渡れるようになってしまった。
破って破って挑戦していく強さが、なんだか私たちには足りない。
小さな場所でもがいてるだけになっている。
あまり絵に向わない年もあった。
向かっていたら違ったかもしれない。
でも、今はまた向き合ってる。
だから、私は、君と今までに向き合ってきた中で、一番まっすぐいようと思った。
だから、また1つ1つ創り上げる。
何が好きで、何が気になるの?
何をどう描こうか。
そんなスタートに、ドローイング展をもってきた。
これは見たらわかる。
今までの私と違う。
違うようでどこか似ている。
だから、ある画家の方に批判もされた。
がっかりだと言われ、
一枚一枚見れない。と言われ、
枚数稼いだだけ。とも言われた。
でも、いいんだ。
たくさんのメディアが芸術にも広がりをみせる。
でも、私は描くことが好きなんだ。
シーンに背中を押されて前に向かうよりも、私は、好きな道を自分で歩きたい。
絵が好きなんだ。
描いてるときは好きなんて言えないことばかりだけど、好きなんだ。
絵は正直だから。私に絶対嘘をくれない。
だから好きなんだ。
ドローイング、今回は私の体に、今までの生きている間に、生まれる前に、抱えたものを、もう一度、すべてだそうと思った。
もう一度、原点に戻る必要があった。
もう一度、君とゆっっくり話がしたいと思ったし、そうしないと、私と君は限界だったんだよ。
そしたら、2004年くらいの形やモチーフなんかもちゃんといた。
私の体を切り開き、骨も肉も血も探ってみたかった。
これは完成じゃない。完璧でもない。
また、うまくやっていくためのスタートなんだ。
一歩なんだ。
だから私は自分に、がっかりなんてしてない。
胸を張って前に進む。
いいドローイングがある。手放したくないものがたくさんある。
画家だと自分で言って少し売れて、長野や東京に少し知れ渡って、絵だけでご飯が食べれて、それで満足して。
私はそんな人生にするのは嫌なんだ。
中途半端に生きるのは嫌なんだ。
今までみたいな絵を描けばいいと思って、今までよりも少しだけ変化して、絵は低下して、エネルギーも低下して、それにも気づかず、気づいても気づかぬ振りして、スタイルに縛られて、ドローイングも今まで描いてきたモチーフばかり描いて、ドローイングにも完璧を求めて、少しうまくなって、少し何かを得て。
違う。
うまくなんてなりたくないんだ。
小手先だけで絵を描く人間にはなりたくないんだ。
誰かと自分が決めたスタイルなんてどうでもいいんだ。
そんなところに満足したくないんだ。
もっともっと壊して壊していい絵描いていきたいんだ。
君にだけは、背中むけたくないんだ。
もっと私は私の絵にみたいんだ。
たくさんのものが現れた。たくさんのもののようで、そんなに多くもない。
全部バラバラしているようで、どこか繋がっている。
そんな300枚になった。
あるアーティストの方が、あの日作品にもあなたにもエネルギーを感じたって褒めてくれた。
いいものには霊的な何かがある。その下の一流にはそれがない。
と言っていた。
たくさんの方が来てくれて、作品を買っていってくれる。
本当に嬉しいこと。
これからむかえる、下絵展、スペインの旅、小布施の境内での展示、NYのグループ展。
私は、世界に、時代に名を残すアーティストになりたい。
一生戦います。
売れることや地位や名声と戦うんじゃない。
目の前の君と今までの中で一番戦う。
2010年
11月
30日
火
twitterを始めてから、ブログおろそかにしてました!
最近壁画の仕事がずっと続いて、パソコンにあまり向かう暇もなく。
壁画の仕事がこんなに続くとは予想外。
こんなに楽しいとは予想外。
絵ってやっぱりいいのね。何にも変えられない。
温かくて強くて優しくて恐くて、さり気なく寄り添ってくれて、消えそうで儚くて、美しくて汚くて、生きていて、何にも変えられない。
この半年で、店舗への壁画作品は6作品。壁画以外の作品が5作品。
たくさんありすぎて数が間違っているかも。
年内は、MIST Luxury への作品と住宅の和室への仕事で終わるかな。
真剣に遊んでます。
やっと絵を描くことが最高の遊びだと言えるようになった。
どれもすべて1つも少しも妥協したことはないです。
時間がなかったら睡眠時間を削ればいい。休憩しなければいい。限界のベストを尽くす。
楽しくて一生懸命に苦しくて疲れて寝れなくて涙がでて、でもそれが楽しい。
この遊びが一番楽しい。
何をするよりも楽しい。
毎日ずっとこんなのがいい。
そして、疲れた時に少し寄りかかれる人たちとお酒があったら幸せ。
早くまた描きたいー。描きたい!
最近大学恩師の先生が、壁画を見てくれて、素晴らしい!と感動してくれた。
間の取り方、色、場所への対応、さすが造形大の学生だ!って言ってくれた。
そして私が、下書きをしないことに驚いて、よくそれで描けるね!!!と驚いていた笑
そうなんです。私そういえば下書きは正円などきちんとした形を出すとき以外、してない。
というか、下書きをしていないことに気が付かなかった。
本も桜も不死鳥も。
遊んでいるんです。
そこの場所で自由に遊びたいんです。
失敗できないものに対して
形が無いところに挑むことは、とても恐いこと。
だから最高に楽しい。
それだけの精神力は必要。だから強くなる。
そして、母校に前例のない職業だ。と言っていた。
1つ1つに一生懸命にこなしていたら、いつの間にか新しい職業を作ってしまったみたいだ。
確かに聞いたことがない。
今という時代と場所に寄り添っているのだ。
ちょっと恐くもなるくらい不思議で。
だって絵を描いて食べていけてるのだから。
でもまだまだ。まだまだ。
その仕事が、信濃毎日新聞の見開き半面に。
その日は、人生の中で一番メールがきた。
朝から晩まで、小学校の時の先生から、同級生のお母さんから、友達から電話。
メールは80件くらいきて。
地元に感謝です。私の絵を育ててくれているのは、温かい地元の人たち。
2月は個展も控えているし、
ここに満足せず、まだ見ぬ高いとこ目指して前進していくことを誓います。
2010年
9月
30日
木
絵の具が手や足から離れない生活がまた続いた。
描いても描いても描くことが終わらない。
髪の毛は太陽に焼けて傷んで、足は蚊に刺された跡と脚立にぶつけた跡ばかり。
寝不足や疲れもたまって、思考は止まる。
ただ、ただ、夢中に描く日々。
夜は、大抵次の日を迎えるまで。最近は平均睡眠4時間半程度で描いていた。
すべてが絵の具に染まっていく。
手も洗わずにコンビニで買い物。
血管みたいに手を流れる黒い絵の具に、店員さんがびくっとした。
絵の具は、服よりも近くに感じる物質。
絵の具という物質が、身体という物質を通して、私という存在と重なって、
ここにいなさいと私に言う。
形あるものは空。空は形あるもの。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
私の匂いのように、私の色になって、私を訴える。
私の色。私の肌。 私の存在。
手には、マニキュアや指輪はしない。
夜に1人、絵の前で、絵の具を足の爪に塗った。
最初は、どんなものでも、泣きそうになるほどできなくて、不安になる。
模倣しなければ当たり前のことだ。
できなくで、少し気がゆるむと本当に泣いているくらい落ちる。
でも、最後はいつもいいものになる。
いいものになると信じて立ち向かう。
これは、私との戦い。
私には負けない。負けちゃいけない。
最近、本棚と本を描きまくった。
本を描き続けて寝れずに生きるか、夢の中で本に潰されて死ぬか、
どっちかだ。と思った。
描かないで生きると言う選択は、私にはないと思った。
生きるか死ぬか。
それは、死を感じないと、生を感じない。
ということ。
苦労をしないと努力をしないと、本当には笑えない
ということ。
そういう生き方をしていたい。
最近絵を買ってくれた人に
越さんは自分を一言で表すとどんな人ですか。
と、聞かれた。
孤独な人だと思います。
と答えた。
月の光を浴びて、赤いワインを飲む。
髪は狼の尾。
2010年
8月
20日
金
気がつけば夏の終わり。
今年の夏は絵の具まみれの夏だった。
ぐちゃぐちゃに絵の具まみれで、ぐちゃぐちゃに汗かきながら創った夏。
休む暇なくそれが続いて、気がつけば夏が終わる。
残暑と一緒に、この夏の仕事たちもあと少し残った。
そして、新しく秋を迎える季節と一緒にまた新しく創ることが始まる予感もくれた。
創ることとそのまわりの人達との夏だった。
始まりは、ミストの2F。
450枚の鏡で天の川を創った。
映るシャンデリアやライトの光も星に変わる。
24歳の夏に見た甑島の天の川の記憶。
新しく七瀬にopenするお寿司屋さんの外壁。
家紋を入れることのみ要望があり、後は自由にやらせてもやった。
夕方からの屋根の上での制作は、夏祭りの一人舞台だった。
下にはたくさんの見物人が出た。
それから私が教える予備校のかわいい生徒達とシャッターアート。
座る道路からも夏を感じたり、夜は夏の匂いがしたね。
宇宙に私も、私という星、ダイヤモンドを描かせてもらった。
描ける日がある限り、雨の日もずっとずっと描き続けていた。
強く優しい絵。
ありがとう。
東京造形大学の恩師、教授の生嶋さんが長野に来たので、一緒にお酒を飲む。
本当によく飲んだ仲。
お酒の席で、造形大学広報の人を、真剣に周りの目を気にせずに、
学生のことを考え怒っていた。
そんなことしてるとこの子が泣きますよ。と怒っていた。
人を真剣に怒れる人であることに改めて感動した。
自分の利益以外で、こんなに叱って、訴えてくれる人は長野にはいない。
私のころは、帰れと言っても聞かず、描く、遊ぶ、そんな時代だったと言っていた。
何もかも夢中にやった。
守りに入ることを知らない攻撃的な学生だったと思う。
みんな目をぎらぎらさせて、ぶつかった。
次の日に、ばあちゃんが今朝採った夏野菜を段ボールのまま電車で抱えて持っていき、
おみやげに渡した。
生嶋さんも段ボールのまま抱えて、東京に持ち帰った。
太陽の下の緑色の野菜と、懐かしい思い出。
まだまだ戦い続ける人たち。
それから南石堂町のお祭りにて卒業生(大学生)と在学生と一緒に壁画制作。
また、ダイヤモンドを描いた。今度はそれに目を入れた。
帰ってきてくれてありがとう。
絵の具だらけの手で飲む昼間のビール。
壁画の繋がりで、夜は、南石堂町のお祭りにて
卒業生と2人で、20分間のLive Painting。
次の日も次の日も、興奮していた。
描き終えて、一番感じたことは
私は、描くことが好きだということ。
絵を描くときの私の目を、私が他の何をしているときにも見たことがないとよく言われる。
それから、酔っぱらっているところしか見たことがなかったと、よくこういう場面や作品をみてすごく驚かれる。
そのたびにやったね。と思う。
最高のほめ言葉だと思う。
苦しいところを見せて、絵は見せられない。
苦しく必死なことも笑って難なくやったような顔をしていたい。
私の努力や苦労は、内側に。
絵の表面には、もっと言葉にならないことを。
というかまだまだ努力や苦労がたりない。
簡単なことをより深く。
深いことをより簡単に。
なんでもないようなことをより大事に。
大事なことをよりなんでもないように。
2月にFLAT FILEにて個展が決まった。
GalleryオーナーのモリヤさんはんN.Y帰りの方で、(たしか、むこうには10年ほど住んでいたと言っていた)
いずれはFLAT FILEごとartistを抱えてN.Yに持っていきたいなんて話をしながら、Drawing10点を預けた。
1年間FLAT FILEにて、販売していますのでよろしくお願いします。
私もまだ見ていなくて、モリヤさんのハンドメイドの額に入れられているはずなんで、楽しみ。
2月の個展は、モリヤさんのご希望によりDrawing展です。
そういえばDrawing展は初めて。
200から300枚展示してほしい。と言われました。
じゃあ1000枚以上はとりあえず描こうと思った。
以前になるべく早くにやりたいと言ったら、みんな制作が間に合うか心配なので、なるべく遅い月を希望しているという。
私は空いている月の一番早い月を希望した。
私は二月でも遅いくらいだ。
創ることをそんなにのんびりやっていたら、そのまま何も創らず、死んでしまいそうで怖い。
すごく楽しみ。何が楽しみかというと、
自分がまた変われそうだから。
私の知らない私に会いたいのです。
N.YのGalleryもいくつか紹介してもらった。
以前から描いている身近な夢は、N.Yや海外に作品を見せていくことだったので、
ほんの少しだけその夢に近づけそうな予感。
まだ何も自分で動いてないので、ただの予感。
N.Y帰りのモリヤサんが作品を褒めてくれるのは、本当に嬉しいこと。
そして、お寿司屋さんの2Fの上座。
これはすべて任せてもらえたので、私の好きにやらせてもらえた。
それって、すごいこと。そしてプレッシャーで緊張したり落ち込んだりしながら、
完成した。
幹は白で、花はドットにした。
メニューには、腕前のある寿司職人さんのお寿司とアジアン料理になるらしく、
ワインも出すと言うので、赤ワインのメニューを増やしてもらった笑
その上座は、和よりにぜずモダンにした。
ある程度の形になるまでは、不安で不安で徹夜して朝9時過ぎまで描いた。
汗をかきながら一人静かに描くことは、本当に贅沢な時間で。
疲れきった体で、出来上がっていく花の下、贅沢な夏の花見をした。
それからライバル達と1泊2日のキャンプ、バーベキュー。
ここはお皿だから使っていいよ。と絵の具のついたズボン。
当たり前の堅い頭を持たぬ人たちとの時間は、ゆっくりとした時間。
前々日は、描くときも日常でも聞いている音楽を生で聞きに、
一緒に6人でクラブに行って、全身筋肉痛に。
みんな好きな時間に一人一人帰っていった。
Jazzin’parkの栗原さんと話した。高校生みたいだね!と言われた笑
何か一緒にできたらいいな。
みんながびっくりすること!
それからArtistでもある、多摩美の講師の栗原一成さんと意気投合し、いろいろ話せたこともいい時間だった。また栗原さんと東京の多摩美学生達と一緒にお酒を飲みながら、日本のアート界を盛り上げていく話ができたらと思う。
そんな私の夏の残暑は、新しいお店の絵の依頼がおそらく3店舗とお寿司屋さんのトイレデザイン。クラブでのLIVE PAINTING。そして、1000枚を越えるDrawingを始めること。
本来の自分の絵を描くことと、お店へのデザインは決して重ならないけれど、
長野が私でいっぱいになることや、創ることは本当に楽しい。
もう一つ、決めたことがある。
けれど現実になるまでこれは言わない。
たくさんの絵の具まみれが幸せで、もっともっとそうなりたい。
After Summer.2010
2010年
7月
15日
木
Mistの2Fに6角形の金と銀の鏡を250枚使って何か表現したい。
そんなお話をオーナーの高野さんから頂き、南米をイメージした空間に鏡で天の川を創ってます。
和田内装の方と。職人さんってすごいな、と尊敬することばかり。
まず、持っているものがおもしろい。
知らないものばかり。知らないことばかり。
全然滑らないマットや銃みたいなシリコンとか、ゴミ袋のような頑丈な袋とか、鏡もカッターで切れるのか・・・付いたら絶対にとれない両面テープとか。
なんだこれー!と
素朴でいて感心するような道具やことばかり。
素朴なことに人がつくることの力強さを感じた。
それで鏡をとめた後に、
もう絶対とれないよ
と安心する言葉と
でもとれるから大丈夫
と安心する言葉
をくれました。
そして
私が求めてる場所にピッタっとあててきます。
以前からお世話になっている方。
私のファンでもいてくれます。(たぶん)
この方と会って、他の誰とでもなく、
こうしてこの仕事を一緒にしていることは、やはり必然でした。
そしてもっとそう感じるものを創れるだろうと確信しています。
一緒に仕事をしていると、私に似ているなと思うことがあります。
会わせてくれた和田内装の同級生にも感謝。
いつも助けてくれます。
いつも味方でいてくれます。
月曜日、壁だけで250枚の鏡が1日で終わってしまいました・・・
来週追加したもう250枚で続きを創ります。
次の日に、その時は夢中になって気付かなかった脚立にぶつかっていたらしい足が、
大きな青あざになっていた。
でも可能ならば、寝ないで完成させてもいいくらい夢中でした。
大概そういう時は、終わって腰を下ろしたと同時に疲れも降りてきます。
夢中になると、食事をとることも休憩することも忘れてしまう。
そんな体の疲れがとても気持ちいい。
あまり頭が回らなくなるのも気持ちいい。
天の川を見たことがある。
大きな大きな天の川を甑島で見たことがある。
夜の海辺の長く続く道の上に大きく大きく広がって
私が歩く道を写した。
その川を越えよう。
来週はもっともっと疲れよう。
誰も見たことのない大きな大きな天の川を
私も見たいから。
2010年
7月
14日
水
朝、歩いていて、ふと思った。
じっくり考えるという時間と移動するという時間(場所から場所へ移るまでの時間)は、
歩くリズムと早さに一番はまる。
歩ける体がある限りは、人力のみで移動することが、一番直に身体に入るのだ。
自転車の早さや、そのたどり着くまでの時間に、私の思考は追いつかない。
車なんて論外。
何も感じないままゴール(目的地)に着くことが多い。
それでも遠出をする時なんかは(最近でいうと東京)歩くわけにはいかないけれど、90分で着いてしまう新幹線よりも、3時間かかるバスがいい。
ゆっくりゆっくり場所を移動しながら、ゆっくりゆっくりそのリズムにのって
ゆっくりゆっくりものを考えることができる。
思考だけではなく、国から国へ時空を越えると体はどっと疲れる。
これだけの距離と時間を越えるのだから、これくらいの体への影響は自然なことだ。といつも思う。
それは、人間なのだ。といつも思う。
たった1人の小さな人間なのだと。
歩くこと
それはじっくり進むこと
大地を踏みしめること
太陽の光を浴びること
月の暗闇の中の孤独と強さを感じること
同じ月を見ること
雨の温度を知ること
寂しさと無力を感じること
風と空気と重なること
風になった人を思い出すこと
その香りがすること
絵を描くこと
お腹が空くこと
夢中になること
ART.Music.Pink Diamond.Rainbow.Books.Notes.People.Birth.Death.Life.
汗をかくこと
涙が出ること
そのリズムに私の体に混ざる脳や意識や精神や感覚が興奮する。
30歳になりました。
やっとわかってきたこと。永遠にわからなそうなこと。
自分で歩き、生き急ぐくらい突っ走っていきたいです。
たくさんのメールや電話やparty。ありがとう。
もらった手紙に書いてあった。
今こうして生きていることはとても素晴らしいことだと最近思うよ。
だから越ちゃんの30年という長いようで短い時の流れも
ひとつの奇跡だと思います。
これからもキミのたっている場所からキミのメッセージを届けて下さい。
それはきっと世界に届くよ。
WE ARE ALL ALIVE!!
WE ARE ROLLING STONES.
誰にも言ったことはないけれどLIKE A ROLLING STONESは私の好きな曲。
Special thanks.
iso.yasue.tsuruchan.acchan.yu-ki.okuyama.yuki.shinchan.chichan.hisashi.
tomita.hisa.sumiko.yoko.emi.miya.tomo p.fumie.yusuke.shigeru.ayako.kaho.
moeno.yo.jyun.ayaka.masakuni.Mr kamata.takumi.my family.
2010年
6月
24日
木
ダライ・ラマ長野講演。
初めて長野に来ることを知ったのは、2009年12月23日の信濃毎日新聞。
それから、半年。
2月のチャリティー展覧会を終え、そしてまたいくつかの展覧会が始まり、
描き続ける中で、どうしても聞いてみたいことがあった。
2008年の東京講演では、質疑応答の時間があり、格闘技界と柔道界への選択を迷っていた石井選手がそれを質問していたのを覚えている。
でも、今回は、北京オリンピック聖火リレースタート地点を、善光寺が辞退したことの感謝の意を示したことで決定したと言われていて、様々な問題から質疑応答はないと思う、と聞いていた。
それでも私はずっと来ることを知った日から、私が話して、絵を渡せると信じていた。
そうなると感じていた。
確信はどこにもないのに、家族や友人にはそう伝えていた。
当日は、セキュリティーチェックが厳しくて、手荷物はすべて隣の会場に預け、携帯と貴重品しか開場に持ち込めなかった。
私は、伝えたいことを書いた紙をチケットより先にポケットに入れて、(友達にはチケット忘れてるよ、といわれた笑)
絵は高価に見せれば貴重品になるかね!なんてのも却下され、
絵も預けて会場に行った。
席は、質疑応答の時間になったら、すぐに前に出で行けるようにアリーナ席の通路席にしておいた。
1時間前に着き、着席していると、アナウンスが流れて
質疑応答希望者は今から先着順でアリーナ席から6名、2階から2名、3階から2名受け付けますので所定の場所に並んで下さい。
と、言われた。
やっぱりあった。と思いながら
所定の場所がわからない。
見つけたときには、“アリーナ席所定の場所”にプラカードが立っていて、
すでに10人くらい並んでいた。
だめだと思った。
諦めながらも、少し早歩きで向かってそれでも並んだ。
すると、前の人が団体で消えて
最後の6番目の鮮やかなオレンジ色のたすきをもらえた。
だから、私もう大丈夫だって思った。
公演中は、ずっとその紙を手に握っていた。
無くしてしまうのが怖かった。
絵を描く時の感覚や、箸じゃなく手で食べるような感覚でもあった。
3時半に集合と言われたので
1番乗りで場所に行った。
時間的に全員が質問できないのもわかっていた。
もしかしたらの可能性で、席に来た順になればいいと思った。
さっき、何を根拠にもう大丈夫かなんて思ったのかわからないほど、また不安になった。
僧の方に
意見をまとめてきたと不意に紙を見せると、時間がないから短くしてくれと言われた。
自分から話しかけておきながら、
すべて伝えなきゃ意味がない。と思い
勝手に却下した。
時間になり
「たすきをもらった順に並んでください。」
と言われ、
6番目じゃだめだ。
と思った。
マイクは左右の通路に1本づつの計2本あって、
左側はアリーナから、右側は2階3階からの質問者が並んだ。
会場をダライ・ラマ近くの左側マイクに進んでいる最中に
「6番目の人はむこうのマイクに行って」
と言われた。
何か起こりそうな予感がした。
けれど、その人に
「むこうのマイクの一番後ろについて」
と言われた。
1番最後じゃだめだ。
とまた思った。
一か八かで右のマイクの方の人に
「アリーナの6番なんですけど」
と言ってみた。
「アリーナ6番目の人が先頭です」
と、右のマイクの先頭に立ってしまった。
私は2番目に意見を言った。
ダライ・ラマに「次は君だよ」と指をさされた。
7000人の中の10人の中の、結局4人しか話すことが出来なかった。
私は、3番目のたすきでも、5番目のたすきでも話せなかった。
講演会が終わって、帰り際に近くの尼僧の方に、意見を述べた者であることと絵を渡したいことを伝えてみた。 はい、わかりますよといったような優しい笑顔で
今取りに行けるなら渡しておきますよ。
と言ってくれた。
たくさんの贈り物がない場所で“質疑応答で話した彼女の絵”を渡せた。
絵の裏にはサインとは別に名刺を名前代わりに貼った。
私が意見を述べるとき、名前を言ったことで、前から名前を知っていたと中学校の美術教師の方が話しかけてきてくれた。
大型スクリーンに顔も映し出されたことで、会場にいたデザイナーの友達も元気をもらったと、連絡をくれた。
名前や顔が知られることは、とてもいいことだ。
だから私はあえて名前を言った。
私がしたい、やりたいこと、やるべきこと、をたくさんの人と分かち合える1つだから。
私が影響力を持てばメッセージが大きく広がっていくから。
言葉は強い力を持てるから。
ただ、描く行為だけは無だ。
それに言葉をつけて説明し始めると、言葉だけが空回りして、奥のものよりも遙かに
表面で上辺を遊んでしまう。
なんのためも考えない。誰のためのものでもない。
価値のないことに無意味なことに最大の価値がある。
その無価値と存在が接着面がわからなく重なるのがいい。
ダライ・ラマの最初の答えは
I don't know.
私はたぶんその答えを待っていた。
その後に、
あなたの意見に非常に感銘を受けたというようなことと、21世紀を担う若者がこういうことを考え行動していることが嬉しいというようなことと「9回失敗したら9回挑戦すればいい」というチベットの諺をくれた。
そして手を合わせてくれた。
緊張して答えをはっきり覚えてないけれど、言葉を思い出して並べるよりはっきり心に入った。
何よりも私は、7000人の人に
芸術は生命そのものであり、生きることそのもの
と言えてよかった。
たくさん緊張して、震えて、でも言えた。
やっぱり言えた。
それは貰ったチベットの諺だった。
やりたいこと、描いた夢。実現していく力に自信をもって
もっともっともっと頑張っていく。
何度も何度も失敗して、挫けて、それでも何度も、何度も、前に進む。
そして私はその中でどんなことがあっても世界の人々のことを忘れない。
妥協も後悔もしない人生にする。
近くで私を見つめて笑う活仏、観音菩薩。発言する前の静まり返った空気とキラキラしたライト、大型スクリーンの中の私、話し終え会場を歩き出したとき、何かが見えた。
私の話したことは次のことです。
「今日はようこそおいで下さいました。
私の名前は越ちひろと言います。油絵を描いています。油絵を描くこと、絵を描くことを職業としています。その中で考えていることがあります。
2007年N.Yで、デザイナーたちが、残りの90%の人々のためのデザイン展という展覧会を開催しました。今、私が手にしている製品やサービス、デザインは、世界の10%の人々にしか触れられていないことを知りました。その他の90%の世界の人々はそのデザインを手にできないばかりではなく、食料やきれいな水さえも口にできないこと、そして6人に1人は1$以下の生活をしていることを明らかにさせられました。
作品は、世界で使われているどんな水でも飲み水に変える個人携帯用浄水器や、自分の力で貧困から脱出させている農業用具などでした。
私は絵を描くアーティストです。製品をデザインすることはできません。
しかし、芸術は生命そのものであり、生きることそのものです。それは人の心を豊かにします。私はそんな仕事に誇りを持っています。人の心の豊かさはどんな場所のどんな人にも必要だからです。
私は、2月に長野市で、38人のアーティストを集めチャリティー展覧会を開催しました。 68点中45点を売り上げ、全額のおおよそ27万円を寄付しました。
しかし、集まったお金を団体に寄付し、託すことが最善の方法ではないと思います。
デザイナーは直に製品やプランから手を貸すことが出来ています。
私たち芸術家、絵描き、アーティストはその資金をどのように動かしていけばよいか何かありましたら教えて下さい。」
この答えはダライ・ラマと話した直後に、少し見えてきた気がする。
アーティストとデザイナー、その他もっともっとたくさんの人たちと一緒に考えていけばいいのか。と。
-ダライ・ラマの般若心経より-
ダライ・ラマがカルマ(業)について述べた文(部分)
生命は無限である。それには始まりも終わりもない。よって、行為、カルマもまた始まりもなく、終わりもない。カルマは無限である。いわゆる無限大のカルマがあることになる。
般若心経の翻訳(部分)
現象を形作る5つの集積したものをよく見極め、その本質が空であることであると見徹すべきである。
形あるものは空であり、空は実に形あるものである。
形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。
かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。
それらは生じず、減せず、汚れず、清純でなく、完全ではなく、不完全でもない。
したがって、シャリプトラよ、実に空においては、
形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、意識もない。
眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。
形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。
視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、認識する要素もない。
知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。
老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、悟りに至る道もない。
叡智もないし、達成することも達成しないこともない。
2010年
6月
22日
火
15日、16日のopening party。
おおよそ4時間の間に来てくれた人45人。
3分の1は結婚式と同じ大学メンバー。
2月の展覧会東京メンバーもほとんど来てくれた。
それから東京にいる元生徒であり友達。
みんなありがとう。
展覧会作品画像は、展示終了後、 Exhibition Works と Works に載せます。
2010年
6月
22日
火
大学仲間の結婚式。
りんた、弓おめでとう。19歳だった林太郎。KOSHIKI ART PROJECT代表。
たくさん一緒にいました。たくさん側で支えてもらいました。
そして、その仲間たち。絵描き、アーティスト、デザイナー、その他。
それぞれの道を進み続けていることに励まされた。
本当に見えないものに向かってただただ無我夢中に進んできた学生時代と卒業後。
それぞれの道が開けてきたことを感じて嬉しかった。
創りつづけてきた証拠。やり続けてきた証拠。
ただ創り出すことが好きでたまらない人たち。
10年後がますます楽しみ。
2010年
6月
10日
木
entkukuiの個展のopening partyします。
15日19:30-ある程度の時間まで。
16日19:30-20:30
みなさんに会えるの楽しみにしています。
今日東京に搬送しました。新作9点。
作品梱包したり運んだりしてると、これ普通の女の子には無理だな、といつも思う。
でも、一応は、なんだってやろうと思えばできるし、やりたい!って思う。
絵描き?芸術家?アーティスト?どの肩書きもいつもしっくりこない、
けれどそれらってパワフル。
たる木切って木枠つくって、綿布張って、バンド水塗って、ジェッソ塗って、手のひらに青あざ出来て、描いて、描くだけじゃないことして、運んで、釘打って、ドライバー使って、展示して、DMデザインして、名刺つくって、壁ペンキ塗って、おかげで高いところも平気だし、重い物も持てるし、デザインも勉強してないけれど自分の好きにやってる。
できるだけ出来ることは自分でやって体に染み込ます。
無理かもと思ったことも人に託さずとりあえずやってみる。
自分の手でやることが、一番実感するから。
やったことは、苦しくても苦しかった分だけ、何百倍もの喜びに変わるから。
その経験が、これから起こる苦しいこともきっとそうなると信じて進めるから。
選択肢は、苦しく未知で怖い方を選ぶ。
楽な方は、もう私が知り得ていること。
わかっていることを繰り返しても道は切り開けない。
絵も同じ。挑戦。創造と破壊の繰り返し。
描くことには、その実感が最大にある。
パソコンを使った仕事は、人に頼っている感覚がある。画面に色を置く行為も。
このパソコンが壊れたら、私はパソコンのせいにする。出力したときの色の違いもどこかのせいにする。
でも、絵が駄目なら、私のせいだ。全部私のせいだ。
大きな機械であっさりできる物より、自分でノコギリや小さな機械で切った物に喜びを感じる。
大量生産よりも、世界にたった1枚の絵がいい。
絵の具がなくても、水と土だって描ける。足だって描ける。地面にだって描ける。
それすら無理なら、紙を破ったり、何かで形をつくるのもいい。気持ちがあれば生むことができる。
私が創る。何もかも私の好きにする。そこに芸術はある。
無意味なものが、とても大切だったりする。
たくさんの絵が消えた部屋。
落ちた絵の具が、床をまた新しくした。
2010年
5月
31日
月
長野でのグループ展に参加することになりました。
6月は展覧会が3つ重なり、こちらでの作品は新作とはいかなかったのですが、油と紙作品2点出品します。
ARTSPACE FLATFILEは額縁のオーダーメイドもやっているそうなので、今回の作品は額と作品の合わせ方にこだわりました。
油絵も額に入れて遊んでみました!満足!!
うわっと驚かせてあげます。から、どうぞよろしくお願いします。
今、家では、エンククイのための「心臓」描いてます。今日完成予定。
7月の誕生日以降からカバラ占術によれば数十年に1度の運気だそうで。
今は、何にも言葉というものが出てこないので、3つの展覧会がすべて始まって、またかきます。
最近、見えているラインを捨てました。
長野在住のアーティスト展 NAGANO ART FILE 2010(naf.=ナフ)
6/4(金)~27(日)
営業日:金・土・日(10:00-18:00)
オープニングパーティー:6/5(土)5:00~8:00
参加アーティスト
Abnormal system、arais、Biondy Chopper、KOHKI、石川宗男、内山温那、岡沢じゅん、小笠原勝之、勝山ゆかこ、木村仁、小池マサヒサ、越ちひろ、小林愛枝、小林野々子、島田恵子、清水隆史、須藤友丹、たかはしびわ、田中克樹、なかむらじん、中村眞美子、朴再英、広瀬毅、モリヤコウジ、渡辺祥子
2010年
5月
20日
木
Moleskine。
ゴッホやピカソやヘミングウェイらに愛されたノートブック。
Moleskineのサイトに私のNote Bookが載りました。
2010.5.19 越ちひろの“瞬間”のためにモレスキン
2010年
5月
13日
木
2010年6月15日(火)-6月30日(水)
art&bar [entkukui]
エンククイ
東京都渋谷区恵比寿1-8-7三恵8ビル1F
営業時間
月-木:19:30-2:00
金:19:30-5:00
土・日:19:30-0:00
展示会場art & bar [entkukui]は、バーです。
ご来場頂いた方にも、お飲み物のご注文をお願いしております。
定休日
祝日(臨時休業あり)
tel:090-2522-0991
今日までか、昨日までかの15日間だかは、
まるで1ヶ月ぐらいが過ぎてしまったかのような長い長い15日だった。
そう感じるのに、その15日間をよく覚えていない。
覚えていないというよりは、記憶のどれが夢で、どれが現実で、何がうそで、何が本物なのか、
わからなくなってしまった。
月曜から、15日ぶりに絵を描く。
絵を描いている時間は、アトリエが宇宙に浮くたった1つの部屋のように感じる。
それでいて、床につく身体からは、地球の大地を感じる。
立っている時も、座っている時も、
疲れてバタンと仰向けになったときも
床につくすべての身体からそれを感じる。
mistの作品を制作した時は、
大抵8時には起きて、朝ご飯を食べた後、そのまま台所でコーヒーを飲みながら、
2時間、ノートや携帯やらとぼーっとする。
そこで、よし!と感じたら、部屋にこもる。
眠くなった時は絵の下で寝る。
今日はここまで、
と感じるのが、夕方5時から7時半。
夜は気分が乗らなきゃ、お酒を飲んで寝る。
音楽は、Jazzin' park のJoyやcopyright feat. song willamsomのHe is。
Kyteのsunlignt。
それに飽きたら、J-popやフジ子・ヘミングのピアノなんかもいい。
孤独や寂しさを感じると絵が深みを増す。
描く日々は、描く時間は、
私の役割がある。
幻覚や夢みたいな中のリアルの下にいる。
幻覚の下で、どっしり地に足がついていることを感じる。
月曜日からは、絶望する瞬間が待っている。
涙が出そうなほど嬉しい瞬間もまたあるだろうか。
まだ私の知らない私がいる。