もう3月。
最後のブログを書いたのは、11月30日。
ゆっくり腰を下ろして、長い日記を書く暇のない毎日でした。
ツイッターは、私のメモ書きみたなものに使ってます。
だから堅苦しい文章なんかばかりです。
そんなに一生懸命絵のことを語らなくてもいいのに。と思われているかもしれません。
でも、私の頭の中は、いつも夢みたいなことに夢中です。
だからほかにつぶやくことがみつかりません。
昨日ブログを更新する気になりました。
じっくり文章を書いて、考えて、宣言して、スタートをきろうと思う。
ドローイング展が無事に始まった。
330枚くらいになっただろうか。
実は2004年くらいから積み上げてきた表現に限界を感じていて。
なんで限界を感じたかというと、どうしてもあの頃に勝てないのだ。
絵も私も、ずいぶん大人になってしまった。
どこか上手に、器用に、渡れるようになってしまった。
破って破って挑戦していく強さが、なんだか私たちには足りない。
小さな場所でもがいてるだけになっている。
あまり絵に向わない年もあった。
向かっていたら違ったかもしれない。
でも、今はまた向き合ってる。
だから、私は、君と今までに向き合ってきた中で、一番まっすぐいようと思った。
だから、また1つ1つ創り上げる。
何が好きで、何が気になるの?
何をどう描こうか。
そんなスタートに、ドローイング展をもってきた。
これは見たらわかる。
今までの私と違う。
違うようでどこか似ている。
だから、ある画家の方に批判もされた。
がっかりだと言われ、
一枚一枚見れない。と言われ、
枚数稼いだだけ。とも言われた。
でも、いいんだ。
たくさんのメディアが芸術にも広がりをみせる。
でも、私は描くことが好きなんだ。
シーンに背中を押されて前に向かうよりも、私は、好きな道を自分で歩きたい。
絵が好きなんだ。
描いてるときは好きなんて言えないことばかりだけど、好きなんだ。
絵は正直だから。私に絶対嘘をくれない。
だから好きなんだ。
ドローイング、今回は私の体に、今までの生きている間に、生まれる前に、抱えたものを、もう一度、すべてだそうと思った。
もう一度、原点に戻る必要があった。
もう一度、君とゆっっくり話がしたいと思ったし、そうしないと、私と君は限界だったんだよ。
そしたら、2004年くらいの形やモチーフなんかもちゃんといた。
私の体を切り開き、骨も肉も血も探ってみたかった。
これは完成じゃない。完璧でもない。
また、うまくやっていくためのスタートなんだ。
一歩なんだ。
だから私は自分に、がっかりなんてしてない。
胸を張って前に進む。
いいドローイングがある。手放したくないものがたくさんある。
画家だと自分で言って少し売れて、長野や東京に少し知れ渡って、絵だけでご飯が食べれて、それで満足して。
私はそんな人生にするのは嫌なんだ。
中途半端に生きるのは嫌なんだ。
今までみたいな絵を描けばいいと思って、今までよりも少しだけ変化して、絵は低下して、エネルギーも低下して、それにも気づかず、気づいても気づかぬ振りして、スタイルに縛られて、ドローイングも今まで描いてきたモチーフばかり描いて、ドローイングにも完璧を求めて、少しうまくなって、少し何かを得て。
違う。
うまくなんてなりたくないんだ。
小手先だけで絵を描く人間にはなりたくないんだ。
誰かと自分が決めたスタイルなんてどうでもいいんだ。
そんなところに満足したくないんだ。
もっともっと壊して壊していい絵描いていきたいんだ。
君にだけは、背中むけたくないんだ。
もっと私は私の絵にみたいんだ。
たくさんのものが現れた。たくさんのもののようで、そんなに多くもない。
全部バラバラしているようで、どこか繋がっている。
そんな300枚になった。
あるアーティストの方が、あの日作品にもあなたにもエネルギーを感じたって褒めてくれた。
いいものには霊的な何かがある。その下の一流にはそれがない。
と言っていた。
たくさんの方が来てくれて、作品を買っていってくれる。
本当に嬉しいこと。
これからむかえる、下絵展、スペインの旅、小布施の境内での展示、NYのグループ展。
私は、世界に、時代に名を残すアーティストになりたい。
一生戦います。
売れることや地位や名声と戦うんじゃない。
目の前の君と今までの中で一番戦う。