ダライ・ラマ長野講演。
初めて長野に来ることを知ったのは、2009年12月23日の信濃毎日新聞。
それから、半年。
2月のチャリティー展覧会を終え、そしてまたいくつかの展覧会が始まり、
描き続ける中で、どうしても聞いてみたいことがあった。
2008年の東京講演では、質疑応答の時間があり、格闘技界と柔道界への選択を迷っていた石井選手がそれを質問していたのを覚えている。
でも、今回は、北京オリンピック聖火リレースタート地点を、善光寺が辞退したことの感謝の意を示したことで決定したと言われていて、様々な問題から質疑応答はないと思う、と聞いていた。
それでも私はずっと来ることを知った日から、私が話して、絵を渡せると信じていた。
そうなると感じていた。
確信はどこにもないのに、家族や友人にはそう伝えていた。
当日は、セキュリティーチェックが厳しくて、手荷物はすべて隣の会場に預け、携帯と貴重品しか開場に持ち込めなかった。
私は、伝えたいことを書いた紙をチケットより先にポケットに入れて、(友達にはチケット忘れてるよ、といわれた笑)
絵は高価に見せれば貴重品になるかね!なんてのも却下され、
絵も預けて会場に行った。
席は、質疑応答の時間になったら、すぐに前に出で行けるようにアリーナ席の通路席にしておいた。
1時間前に着き、着席していると、アナウンスが流れて
質疑応答希望者は今から先着順でアリーナ席から6名、2階から2名、3階から2名受け付けますので所定の場所に並んで下さい。
と、言われた。
やっぱりあった。と思いながら
所定の場所がわからない。
見つけたときには、“アリーナ席所定の場所”にプラカードが立っていて、
すでに10人くらい並んでいた。
だめだと思った。
諦めながらも、少し早歩きで向かってそれでも並んだ。
すると、前の人が団体で消えて
最後の6番目の鮮やかなオレンジ色のたすきをもらえた。
だから、私もう大丈夫だって思った。
公演中は、ずっとその紙を手に握っていた。
無くしてしまうのが怖かった。
絵を描く時の感覚や、箸じゃなく手で食べるような感覚でもあった。
3時半に集合と言われたので
1番乗りで場所に行った。
時間的に全員が質問できないのもわかっていた。
もしかしたらの可能性で、席に来た順になればいいと思った。
さっき、何を根拠にもう大丈夫かなんて思ったのかわからないほど、また不安になった。
僧の方に
意見をまとめてきたと不意に紙を見せると、時間がないから短くしてくれと言われた。
自分から話しかけておきながら、
すべて伝えなきゃ意味がない。と思い
勝手に却下した。
時間になり
「たすきをもらった順に並んでください。」
と言われ、
6番目じゃだめだ。
と思った。
マイクは左右の通路に1本づつの計2本あって、
左側はアリーナから、右側は2階3階からの質問者が並んだ。
会場をダライ・ラマ近くの左側マイクに進んでいる最中に
「6番目の人はむこうのマイクに行って」
と言われた。
何か起こりそうな予感がした。
けれど、その人に
「むこうのマイクの一番後ろについて」
と言われた。
1番最後じゃだめだ。
とまた思った。
一か八かで右のマイクの方の人に
「アリーナの6番なんですけど」
と言ってみた。
「アリーナ6番目の人が先頭です」
と、右のマイクの先頭に立ってしまった。
私は2番目に意見を言った。
ダライ・ラマに「次は君だよ」と指をさされた。
7000人の中の10人の中の、結局4人しか話すことが出来なかった。
私は、3番目のたすきでも、5番目のたすきでも話せなかった。
講演会が終わって、帰り際に近くの尼僧の方に、意見を述べた者であることと絵を渡したいことを伝えてみた。 はい、わかりますよといったような優しい笑顔で
今取りに行けるなら渡しておきますよ。
と言ってくれた。
たくさんの贈り物がない場所で“質疑応答で話した彼女の絵”を渡せた。
絵の裏にはサインとは別に名刺を名前代わりに貼った。
私が意見を述べるとき、名前を言ったことで、前から名前を知っていたと中学校の美術教師の方が話しかけてきてくれた。
大型スクリーンに顔も映し出されたことで、会場にいたデザイナーの友達も元気をもらったと、連絡をくれた。
名前や顔が知られることは、とてもいいことだ。
だから私はあえて名前を言った。
私がしたい、やりたいこと、やるべきこと、をたくさんの人と分かち合える1つだから。
私が影響力を持てばメッセージが大きく広がっていくから。
言葉は強い力を持てるから。
ただ、描く行為だけは無だ。
それに言葉をつけて説明し始めると、言葉だけが空回りして、奥のものよりも遙かに
表面で上辺を遊んでしまう。
なんのためも考えない。誰のためのものでもない。
価値のないことに無意味なことに最大の価値がある。
その無価値と存在が接着面がわからなく重なるのがいい。
ダライ・ラマの最初の答えは
I don't know.
私はたぶんその答えを待っていた。
その後に、
あなたの意見に非常に感銘を受けたというようなことと、21世紀を担う若者がこういうことを考え行動していることが嬉しいというようなことと「9回失敗したら9回挑戦すればいい」というチベットの諺をくれた。
そして手を合わせてくれた。
緊張して答えをはっきり覚えてないけれど、言葉を思い出して並べるよりはっきり心に入った。
何よりも私は、7000人の人に
芸術は生命そのものであり、生きることそのもの
と言えてよかった。
たくさん緊張して、震えて、でも言えた。
やっぱり言えた。
それは貰ったチベットの諺だった。
やりたいこと、描いた夢。実現していく力に自信をもって
もっともっともっと頑張っていく。
何度も何度も失敗して、挫けて、それでも何度も、何度も、前に進む。
そして私はその中でどんなことがあっても世界の人々のことを忘れない。
妥協も後悔もしない人生にする。
近くで私を見つめて笑う活仏、観音菩薩。発言する前の静まり返った空気とキラキラしたライト、大型スクリーンの中の私、話し終え会場を歩き出したとき、何かが見えた。
私の話したことは次のことです。
「今日はようこそおいで下さいました。
私の名前は越ちひろと言います。油絵を描いています。油絵を描くこと、絵を描くことを職業としています。その中で考えていることがあります。
2007年N.Yで、デザイナーたちが、残りの90%の人々のためのデザイン展という展覧会を開催しました。今、私が手にしている製品やサービス、デザインは、世界の10%の人々にしか触れられていないことを知りました。その他の90%の世界の人々はそのデザインを手にできないばかりではなく、食料やきれいな水さえも口にできないこと、そして6人に1人は1$以下の生活をしていることを明らかにさせられました。
作品は、世界で使われているどんな水でも飲み水に変える個人携帯用浄水器や、自分の力で貧困から脱出させている農業用具などでした。
私は絵を描くアーティストです。製品をデザインすることはできません。
しかし、芸術は生命そのものであり、生きることそのものです。それは人の心を豊かにします。私はそんな仕事に誇りを持っています。人の心の豊かさはどんな場所のどんな人にも必要だからです。
私は、2月に長野市で、38人のアーティストを集めチャリティー展覧会を開催しました。 68点中45点を売り上げ、全額のおおよそ27万円を寄付しました。
しかし、集まったお金を団体に寄付し、託すことが最善の方法ではないと思います。
デザイナーは直に製品やプランから手を貸すことが出来ています。
私たち芸術家、絵描き、アーティストはその資金をどのように動かしていけばよいか何かありましたら教えて下さい。」
この答えはダライ・ラマと話した直後に、少し見えてきた気がする。
アーティストとデザイナー、その他もっともっとたくさんの人たちと一緒に考えていけばいいのか。と。
-ダライ・ラマの般若心経より-
ダライ・ラマがカルマ(業)について述べた文(部分)
生命は無限である。それには始まりも終わりもない。よって、行為、カルマもまた始まりもなく、終わりもない。カルマは無限である。いわゆる無限大のカルマがあることになる。
般若心経の翻訳(部分)
現象を形作る5つの集積したものをよく見極め、その本質が空であることであると見徹すべきである。
形あるものは空であり、空は実に形あるものである。
形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。
かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。
それらは生じず、減せず、汚れず、清純でなく、完全ではなく、不完全でもない。
したがって、シャリプトラよ、実に空においては、
形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、意識もない。
眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。
形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。
視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、認識する要素もない。
知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。
老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、悟りに至る道もない。
叡智もないし、達成することも達成しないこともない。
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あの場にいた者です・・・ (日曜日, 27 6月 2010 10:27)
自分の伝えたいことを伝えられてよかったですね。
ただ・・・もっと短かったら、並んだ後ろの人の何人かにも質問できる機会をあげられたかもしれませんね。
越 (月曜日, 28 6月 2010 10:32)
私は私の与えられた場所で後悔しないように、できるだけ短くすべてを言いました。私には7000人の人に伝えるべきことがあったからです。少し伝わればいいのではなく、半分伝わればいいのではなく、精一杯の気持ちで伝えたいことがありました。
もしももっと短くすることで伝えたいことを省いていたら、私は後悔していました。後悔する人生ほど虚しいものはない。
その瞬間は、その瞬間しかないからです。もうその瞬間は戻ってこないからです。
いろいろなことが重なり、奇跡と運でその場所を与えられた者だからです。与えられたからには全力で言わなくちゃ。強い思いがありました。たくさんのことにとても感謝しています。
その気持ちを忘れずに、発信していきたいです。
亜矢子 (月曜日, 28 6月 2010 20:03)
チベット仏教の砂曼陀羅を、映像でだけど見たことがあります。制作している風景も。
ダライ・ラマの言葉と、砂曼陀羅は同一だ。わかった。
講演会のこと、また詳しく聞かせて下さい。
発言できなかった人がいたことは、本当に残念なことだと思います。本当に。
でも、そのことと、先生が言わなきゃいけないことを省いたりすることは別なことだと感じます。
少しでも、半分でもだめ。
とても先生らしい言葉で深く頷きました。それくらいじゃなきゃ、だめだ。