entkukuiの個展のopening partyします。
15日19:30-ある程度の時間まで。
16日19:30-20:30
みなさんに会えるの楽しみにしています。
今日東京に搬送しました。新作9点。
作品梱包したり運んだりしてると、これ普通の女の子には無理だな、といつも思う。
でも、一応は、なんだってやろうと思えばできるし、やりたい!って思う。
絵描き?芸術家?アーティスト?どの肩書きもいつもしっくりこない、
けれどそれらってパワフル。
たる木切って木枠つくって、綿布張って、バンド水塗って、ジェッソ塗って、手のひらに青あざ出来て、描いて、描くだけじゃないことして、運んで、釘打って、ドライバー使って、展示して、DMデザインして、名刺つくって、壁ペンキ塗って、おかげで高いところも平気だし、重い物も持てるし、デザインも勉強してないけれど自分の好きにやってる。
できるだけ出来ることは自分でやって体に染み込ます。
無理かもと思ったことも人に託さずとりあえずやってみる。
自分の手でやることが、一番実感するから。
やったことは、苦しくても苦しかった分だけ、何百倍もの喜びに変わるから。
その経験が、これから起こる苦しいこともきっとそうなると信じて進めるから。
選択肢は、苦しく未知で怖い方を選ぶ。
楽な方は、もう私が知り得ていること。
わかっていることを繰り返しても道は切り開けない。
絵も同じ。挑戦。創造と破壊の繰り返し。
描くことには、その実感が最大にある。
パソコンを使った仕事は、人に頼っている感覚がある。画面に色を置く行為も。
このパソコンが壊れたら、私はパソコンのせいにする。出力したときの色の違いもどこかのせいにする。
でも、絵が駄目なら、私のせいだ。全部私のせいだ。
大きな機械であっさりできる物より、自分でノコギリや小さな機械で切った物に喜びを感じる。
大量生産よりも、世界にたった1枚の絵がいい。
絵の具がなくても、水と土だって描ける。足だって描ける。地面にだって描ける。
それすら無理なら、紙を破ったり、何かで形をつくるのもいい。気持ちがあれば生むことができる。
私が創る。何もかも私の好きにする。そこに芸術はある。
無意味なものが、とても大切だったりする。
たくさんの絵が消えた部屋。
落ちた絵の具が、床をまた新しくした。