Life

生活

(1)生きていること。生きて、ある存在として活動していること。

(2)世の中での暮らし。暮らし。

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「存在とは中間であり、過程であり、途上である」

三万年の死の教え 中沢新一

 

 

 

 

 

 

 

2月に開催した展覧会「イマジン・アート・フォー・ザ・チルドレン」寄付金総額269,563円を

3月23日、支援先に送りました。

 

今回の支援先は、開催前に国際連合児童募金(UNICEF)へ全額と決定していましたが、

準備中、展覧会後に起きた、ハイチ大地震、チリ大地震を見て見ぬ振りせずに、支援先を決めることが、作品を購入し賛同して下さった方たちと、その大切な支援金を預かる私たちのすべきことと考え、N.Yの国際連合児童募金(UNICEF)へ唯一通じる親善大使黒柳徹子さんの口座と国境なき医師団へ決めさせて頂きました。

 

 

 

 

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支援先を決めるにあたって、たくさんの団体を知り、たくさんの活動を知り、たくさんの疑問を持ち、

最後に決定打となったのは、表面に見える団体の概要や活動内容というものではなくて、

そこに生きる人の姿だったように思う。

それは、大きく取り上げられるようなことではなく、自分と目の前のことと向き合う一人のただの、人間の姿だったように思う。

私は、私のその感を、たくさんの愛しい人たちに私が出逢ってこれたように信じた。

 

 

 

 

 

 

黒柳徹子さんが書いていた。

 

募金総額の報告(2010年1月31日現在)
4,659,474,167円(件数348,012)
1月分、約1,500万円の募金を頂ました。
ありがとうございました。


「トットちゃんとカマタ先生のずっとやくそく」より(2007年)
ユニセフの親善大使を続けてきて、
「それだけやっても世界は良くならないではありませんか。むなしくありませんか」
と言われることがある。
けれど、ひとりの子どもでも、救うのはたいへんなこと。私は、世界中の子どもを救おうなどとは思っていない。ただ、私が伝え、みなさんからいただいた募金で、少しでも子ども達が助かってくれると嬉しい。現在、私の親善大使の口座に、この24年間にみなさんが送ってくださったお金は43億円になった。1円残らずニューヨークのユニセフに送り、私が訪問した国を中心に、確実に子どもの必要なものにして、使わせていただいた。ちなみに、お礼の手紙はお出ししていない。80円切手分で、ひとりの子どものいのちを救えるから。この場を借りて、お礼を申し上げます。



私が親善大使になったとき、地球上で1年間に1400万人の子どもが死んでいた。
ありがたいことに、いま1050万人にまで死は減った。
子どもが増え続けている中で、350万人の死が減ったということは、世界中の人が助けようと思ったから。それでも計算したら、親善大使になってから、救えなかった子どもが3億人近く。それはほんとうにつらい。けれど、続けるしかない。

 


「トットちゃんとトットちゃんたち」(1997年 講談社)

だけど、だけど、
そんな、ひどい情況のなかで、自殺をした子どもは、一人もいない、と聞いた。
希望も何もない難民キャンプでも、一人も、いない、と。
私はほうぼうで聞いて歩いた。
「自殺した子はいませんか?」
「一人もいないのです」
私は、骨が見えるくらい痩せて

骸骨のようになりながらも、
一生懸命歩いている子どもを見ながら
一人で泣いた。

 

 

 

国境なき医師団ホームページより

 

1999年度ノーベル平和賞授賞式。
国境なき医師団の代表者たちは、ロシアのチェチェン侵攻に
抗議し「グロズヌイ」と書かれたTシャツを着て式に出席した。

 

 

ノーベル平和賞受賞記念スピーチより(部分)
「チェチェン、そしてグロズヌイの人々は、今日まで三ヶ月以上もロシア軍の無差別爆撃を耐え忍んでいます。彼らにとって人道援助は事実上ありません。グロズヌイを出ることができないのは病人や高齢者、弱った人々なのです。私は今日ここに声を大にして訴えます。ロシア大使閣下に、そして大使閣下を通じてエリツィン大統領に、無防備な市民を襲うチェチェンでの爆撃を止めるようにと。紛争や戦争が国家の問題だとしても、人道的な法を侵すこと、戦争のもたらす罪、人間性に背いた行為は、この社会に生きる私たちすべてを苦しめるものなのです。


私たちは危機的な状況にある人々を助けるため行動します。ですがこの行動に満足しているわけではありません。皆様が今日私たちにくださる名誉ある賞ですが、世界の様々な状況下で闘っている数多くの組織や個人のうち、どなたが受けられてもおかしくなかったでしょう。国境なき医師団は1971年に正式に設立されました。自らをすぐに支援が行える存在にしようと決心したフランス人医師やジャーナリストのグループとしてスタートしました。人々の尊厳を直接脅かすことならば、場合によっては国家が行うことでも拒否するつもりでした。何百万人もの方々が金銭面や精神面で国境なき医師団というプロジェクトを支援してくださっています。この受賞の栄誉は、実際には脆弱な存在である国境なき医師団に力を与えるため闘ってきた、そして現在闘っている全ての方々と分かち合いたいと思います。」

 

 

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これが最善の方法ではないだろう。

このような展覧会を続けるにあたり、集められたお金は、いずれ私のもっと目で確認していけることへ変えていきたい。

それでもこれが一歩というスタートであることを素晴らしく思う。

269,563円。とても重く、とても大きなお金であり、とても小さくも感じる。

だからこそ、これからがある気がする。

 

 

 

私は、ボランティア団体を設立したいわけじゃない。

そういう活動を主にしていきたいわけじゃない。

ただ、絵を描く私から、もっと広く世界のことも考えていきたい。

それは、

私が、ここに生きているから。

ただ、描くことが好きだから。

ちっぽけな、たった1人の人間でありながら、ここにしっかり生きていたいから。 

そこにはたくさんの人たちも生きているから。

 

 

 

 

この場をお借りして、展覧会に来て下さった方々、作品を購入して下さった方々、力を貸して下さった方々に心から感謝致します。

そして、

仲間であり、ライバルであり、尊敬する37人の愛しい芸術家たち、

たった1つの「やる」という意志をくれたこと、支えてくれたこと、文句もあっただろうが、言わないでいてくれたこと、思ってくれたこと、忙しい中でのこと、素晴らしい作品、添えてくれた手紙、全部にThank you。

こうやって考えると、みんな酒豪ばっかだね。

 

 

 

 

 

 

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私は魚になって一緒に海を泳いだ。
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